《誰都合?》
先週、先々週と記事に書かせて頂いた存在について、どうにも不思議な点があり、それが思わぬ気づきを呼んだ。
「確かにトータルで見ると世に認められて、この業種の人が受ける最大級の賞賛や栄誉、収穫を欲しいままにしただろうが、
売れ出す前の凄い貧乏生活、あれは一体何でだ?」
全体ひとつで進むなら、もっとスムーズに事が運んでも不思議はないからである。
上の様な資料を眺めていたら、不意に言われた。
「だって、そうしないと
いっぱい描かないから」
「何だって!」と仰け反った。
のんびりしたペースで生きている人間や、「もっともっと」と言う欲がない人間は、すんなりある程度の収穫を得た段階で他の道に出かけて遊びたくなってしまう。
そうした人々に沢山の仕事を頼みたい場合、収穫をしばらく渡さなかったり、大きな借金等の動かざるを得ない理由を作ったりして、ちゃんと働いてくれる方に誘導するそうだ。
「さだまさし方式じゃないか」
言ってみてから、年代的には「しげる→まさし」順につき、水木しげる方式でさだまさしが誘導されたとする方が的を射ていると気付いた。
類似例に加山雄三への誘導もあり、どれも我欲がそれ程大きくない端末に対し世の中への広く大きな貢献を求める時に、上がする無茶振りである。
不覚にあってもさだまさしの歌には、人の意識の奥深くまで浸透してこんがらがった部分を優しく解く力がある。
加山雄三も、以前に書かせて頂いた海 その愛みたいに目覚めとは程遠い素っ頓狂なことも歌うのだが、この存在が発する太陽の様に明るく暖かな輝きを求める場所は多かった。
あと、「若大将」だったから。
幾つになろうと、「若大将」と呼ばれて成立する存在が、各地を巡回するとそれだけで活性化が起こる。
常若大将である。
「つくづく、きっぱりしてんなぁ~」
と、呆れた。
上が求めるのは全体の繁栄に貢献するアクションであり、個の都合に沿った栄えや安心ではないと言うこと。
その為には、手段を選ばない。
だから、苦境のさなかに在る端末は「神も仏もあるもんか」となることもあるだろう。
それでも「起きたことは引き受けるのだ」と、真摯に向き合い続ける者には、必ず苦境の決壊が起こる。
今まで自らを覆っていた窮屈な状況が消え、そこからは一気に取り置かれていた収穫が溢れて来る。
都合の「都」は、元々「全体」を意味していた。
物理次元に数多居る中の、たった一個の端末を首都とする「個の都合」は、とてもおかしな動きなのである。
全体だから、都合に良いも悪いもない。
個人が画策しても結局都合良くは行かないのは、その為である。
変な都合を卒業しよう。
(2019/8/26)