《解いて溶く波》
危機を叫ばれる程の気温上昇が落ち着きそうになったら、今度はかつてない規模と騒がれる雨風がやって来たり、不覚にとってはにっちもさっちも行かない、覚からすれば順当な場面が続いている。
順当、には違いないのだがどこまで大きな波になれば変化が現れるのだろうかと、頑なな不覚社会を腕組みしながら、何とも言えない気分で眺めている。
いい加減気がつく時期に来ていることが、未だぶっちぎって無視されている。
夏に、国を挙げての旅行キャンペーンが打たれた時、地方から起きた「ウイルスを持っているかも知れないのだから、東京からの観光客は来ないで欲しい」の大合唱に応えて多くの人が帰省さえも控えた。
優しさによる配慮からかも知れないし、迷惑がられながら旅行なんてしたくないからかも知れない。
理由は様々だろうが、結果としてそれ程盛り上がらなかった。
にも拘らずそこは省いて、やって来る一部の人に対し「これだから東京は地方のことを軽視している。自分達の不安や痛みは分からない」の反応。
そして「いまいち盛り上がらなかったから儲からなかった」の反応も起きた。
エゴ持ちらしい安定の、言ってることメチャクチャ感。
様々な人が様々な立場に分かれて言っている訳だが、どれについても「だってそれはそうでしょ」「そんな気持ちにもなるでしょ」と感じた方は、言っていることをシンプルに、なるべく単純化して観察し直して頂きたい。
するとメチャクチャさが際立ってくる。要は、
「こっちに持って来てほしいものは持って来て」
「こっちに持って来てほしくないものは持って来ないで」
を、飽かず繰り返しているのだ。
いつまでたっても「こっちの都合」を超えることがない。
この“こっち傾き”は、違った形の大波になって返って来るだろうことは、上から示されたのもあって承知していた。
病と違うアプローチ、おそらく不覚の人々が自然災害と呼ぶ形で来るだろう。
そこまでは感知していた。とは言えこんな規模で早々に返るとはと、それなりに驚きながら「ふーむ」と唸った。
この機会に、どれだけの方が進化の時とお気づきになり、理解を始めるだろうか。
「東京は東京のことばかり、地方での災害に関する報道が少な過ぎる」
報道が増えても、出て来るのは舌打ち混じりの「やっとか!」「遅い!」「まだ少ない!」。
縄張り意識から来る敵愾心が消えない限り、満たされることはないし、まして感謝が起きることはない。
ウイルスはくれるな、厄介事は持ち込むな、注目はくれ、情報はくれ、配慮はくれ、支援はくれ。
立場を引っくり返したって同じ。
観光地として楽しさはくれ、その土地でとれるものは送って寄こせ、困りごとは自分らでどうにかしろ、そんな傾きも、やがて傾いた者達へ大波となって帰って行く。
これはバチとかそう言うことではない。自他は無いから放ったものがそのまま届く、只それだけだ。
嫌なものは盾で防ぎ、欲しいものは熊手で掻き込む。
盾と熊手を駆使した泥仕合が騒がしい中で、渦中の地域に居なくとも「ここからちょっとでも何かの役に立とう」と気がつき行動する人々も居る。
それが良かれの善意を超えた時、変化の兆しとなる。
宮司を名乗る“これ”も変化の萌芽に意識を向ける観察を続けて、同時にここから出来る限り役立つことをしている。
しているし、し続けて行く。
自他の別に支えられた頑なな縄張り意識は、変容の波がさらって行く。
縄と共に去るか、全体一つに溶けるかの選択を、波がしてくれる訳ではない。
向こう三軒両隣、変化を始めたら致します?
意識の縄を誰も待たずにとっとと解いて、今この場で全てに溶けると決める時、そして内側から湧き上がるものに沿って行動を始める時、どれ程の目には見えない後押しが来ているかを感じることが出来る様になる。
目に見える状況に左右されない感謝と歓びが、あなたを支え成長を促す。
それは絶えざる進化を生むのだ。
恐れずに、解いて溶ける。
(2020/9/7)