《見えぬ雨》
来月に、平成からバトンを受け取る「令和」と言う新しい元号。
「命令っぽいから嫌だ」とか、
「令月から来ていて上品でいい感じだ」とか、
色んな意見はあるものの、概ね好評で、梅の花の様に一人一人が花開き、香しく咲くことへの願いが込められているらしい。
それを知って、進化変容をサポートし続けている菅原道真や、「梅」について読み解いた時に出て来た「無・栄」(無が/無から・栄える)のことが意識に浮かんだ。
この元号を選ぶ過程でどの様な事情や都合が挟まれていたとしても、全母の意志はそれらを通してさえ自在に現れて来る。
いよいよ、万物が無から生まれていることが無視できない新時代到来。
そう感じつつ眺めていたら、上からハッとなる情報を教わった。
令和に、見えていない部分を補完して、現れるのが
零和
もうそのまんま、「0に和して1となる」状態。
零は元々、完全な無を意味してはいなかった。
「零細」「零落」と言う使用例もある様に、「少ない・落ちぶれる」状態、要は全くの無から僅かに出た状態を示す。
そりゃそうだ。完全に何もないなら、文字にも出来ない。
「0」と言う輪っかの形の記号になった時点の僅かな具現化が、零のちょっぴり加減に通じている。
「ほぼほぼ無いけど、ちょっぴりは有る」の零は、皆に「これで何にもないよね」と示せる0、無いのにそれでいて見える状態を示す、不思議な役割を務める存在となった。
零が「0」なら、無は「 」である。
さて、0と1に話を戻す。
0が1を生み、そして0に還る。
この全一化を成すには、見えない「雨」の部分が必要になる。
「雨」の音である「アメ」は、「天」と字をあてることも出来る。
「零」の字にに現れる雨、天から降る粒とは、全母が物理次元と言う“地”に普く降り注ぐ天意のこと。
目に見えない天意を送っても、何かしらのご褒美が確約される訳ではないし、どこからか感謝される保証もない。
そうしたことに構わず、只々、天意を地に注ぐこと自体を歓びとして楽しんでいると、モノコトが最も素直な形で活き活きと繁栄する。
このことが分かって、益々味わい深い新時代だと唸った。
目に見えない天意を満たして、0と1による創造を完成させることの出来る人々。
目に見える部分しか感じ取れずに、不安が増幅し混乱する人々。
令和時代の人類は二手に分かれて行く。
令和は、待ったなしの岐路に置かれる、文字の形をした踏み絵みたいなものだ。
支配を恐れる人々にとって「令」は命令や指令、号令の令。
下賤を嫌う人々にとっては令月や令室、令息の令。
令室・令息は「他人の妻子」を意味し、優雅にキメて結果「自・他」が、ぐっと強化される言葉となっている。
「良い」とか「立派」の意味も、それこそ立派な傾きである。
何かと強めでキャラの立つ「令」。
この令を、天意の放出で、中立な「零」にすることが出来る者は、何者でもない存在として全体を活かす、変容を体験することが可能となる。
外務省的には、「令和」の説明を「=Beautiful Harmony(美しい調和)」で行くそうだ。
真に美しい調和は、無から生まれる全体一つの“和”に他ならない。
見えぬ雨が地を潤し満たす時、無数の繁栄が健やかに立ち昇る。
惜しみなく、天意降らそう。
(2019/4/4)