マイ・フェア・レディについてはちょっと置いて、本日記事はあっさりしつつ、とても重要なことを書かせて頂きました。
春分と言うこの機会に皆様それぞれ、ご自身の継続されているものについて、意識を向けてみて頂ければ幸いです。
では記事へ。
《継続は力なり》
先日『新世界・紀行』の、各記事への見出しが並ぶページに、新しい項を作ろうとしたらエラーが出た。
新規項目の追加が200に達すると、同じページには表示出来ないのだそうだ。
幾つ記事をこしらえたとか特に気にしていなかったので「へぇ!」と驚いた。
気がつけばこんなに。
そんな訳で、本日記事からの一覧は新しいページに作り、前の一覧への入り口も下に並べておくことにした。
これで又、200位は並べられる。
ひょんなことから代役として始めてコツコツと記事をこさえ、皆様にもコツコツとお読み頂いた。誠に感謝である。
そんなコツコツ道の途中で、沢山の気づきや学び、出会いを頂戴した。
これも只々、感謝申し上げる他ない。
やぁ有難いことだと頷いて、ふと本日記事の題とした言葉が浮かんだ。
同時に、数年前に人とした会話のことも思い出した。
女性の制服だか下着だかを数百枚盗んだ人物が逮捕されたニュースがその場で話題として上がり、特に感想が浮かばなかったので、とりあえず
「継続は力なり」
と言ったら、ダメだよとビックリされた。
継続は力とは、努力は無駄でないと励ます、良い意味で使うのが普通であるかららしい。
確かに盗むこと自体が変てこな動きだし、まして、実用性のない対象を盗んで山と集めるのは相当奇妙な動きだ。
そうした奇妙で誰のことも満たさない、盗んで手に入れた当人のことさえ結局は満たさない動きでも、繰り返しを続けたなら続けただけそれは止め難くなる。
盗品コレクションだろうが、違法薬物の摂取だろうが、興奮や陶酔を求め続ける中毒状態になれば、露見して継続が困難になるまで重ねられるだろう。
2019にもなってまだ不覚にしがみつこうとすると、中毒は必須アイテムとなる。
中心を毒するなら、
虚空に帰り着く
ことはないからだ。
まだ時期も分かっていないが、本年の祭で取り上げるテーマの一つは「毒」に決まった。
毒に翻弄される不覚社会の人々。
その殆どの方に直接お目にかかる機会がなくとも、この機会を活かして毒について読み解き、全体に向けて捧げることは、祈りとなる。
継続は力なりは確か。
それがどんな方向への継続だとしてもである。
力は力であって、善悪のどちらかに傾くものではない。
継続は分け隔てなく、力となる。
変質の中毒道も、弥栄の本道も、進めば進んだだけ深まるのだ。
混迷と苦悩を深めるのか、
理解と実感を深めるのか。
意志の試される春となる。
何をどう、継続中?
(2019/3/21)