《眉に唾する》
「ありゃ、何でだろ」
ふと気が向いて先週の記事を見返したら、旅行キャンペーンについて書いた「地方からの声に応えて東京が省かれて、その流れで帰省さえ控えられた」と言う下りに、何でかゴソッと抜けが生じていた。
首がなく、肩からいきなり頭が生えてる感じ。
その為、起きていることと異なる内容になっていた所があり、混乱を招いた点もあったろうことをお詫び申し上げる。
欠けた部分をシンプルに補足した後、さっきまで削れていたその辺りを観察した。
「省かれたことが省かれて、帰省も省かれてるのか…。あれ」
省って何だろう?
お目にかかる方にご覧頂く紙芝居の中で、書いた字の点が抜けていたりとか奇妙な出来事がある度に、そこを切っ掛けに面白い発見や理解に至って来たことを思い出した。
この運び、そう言えば久々だなと何だか懐かしい。
省に対する問いが浮かんだ時には、丁度意識を向け腕まくりして理解の掘り下げにかかっていたものがあったので、急に開けた別の景色への方向転換に「え~!」となったが致し方なし。
掘り進めていた『だるまちゃんとてんぐちゃん』穴から這い出て、省とは何かに意識を集中した。
字の成り立ちを調べてみると諸説ある。
まず、上にある「少」の部分が眉飾り、下の部分が目を示しているとするもの。
呪術的な力を増す眉飾りをつけた目で地方を「見回り、取り締まる」ことが省のもとの意味。
そこから己の行為を見回り判定することに意味を移して「かえりみる」になり、そうした見回りの後に除くべきと判断したものを取り去る、「はぶく」意味が生まれたと言う。
「呪術で見回り!」
イメージです。
と驚いたが、眉飾りと呪術の関係についてはかなり前から知っていた。
お目にかかる方には、これについて別の字でご説明申し上げたこともあるので「ああ、眉飾りね」となった方も居られるだろう。
これまで眉飾りの呪力は敵を倒して侵略する為の力だと認識していた。
驚いたのは、所有している土地の民を縛るのにもこの力を使っていた点である。
そりゃ呪いで力が出せれば何にだってとことん使うのが不覚だろうが、もう殆ど便利グッズと言うか万能調味料だなと、資料にあった古代文字に添えられた眉飾りのイラストを腕組みして眺めた。
省の成り立ちには眉飾りと関係ない、「生」の下に目を書いたものと言う説もある。
生は、若い芽を描いたもので、「生き生きと」「真っ直ぐ」などの意味を持ち、だから省には生と同じにセイとショウ、二つの読み方があるのだと言う。
「生」が「清」に通じることから、「澄み切った目でよく観察する」意味となる。
生き生きして、真っ直ぐなものの自然な成長を支える為にそれを妨げるものを省くのなら、呪術よりずっとシンプルで健やかだ。
省には「之」の下に目を書いたもの、とする成り立ちもある。「之」は「止」と音が通じることから、「目を止めてじっと見る」意味となる。
三つも出て来て、ぱっと見ゴチャついているが、どれについても分かる気がした。
どんな意識状態で対象を「みて」いるかによって、省の精度は変わるし、意味も変わる。
騙されない様に用心することを意味する、眉唾と言う言葉は、「眉に唾をつければ狐狸などに化かされない」という言い伝えから生まれたそうだ。
女狐とか狸親父とか言う風に、化かし化かされは人の間にも生じる。
眉を拭って不要な飾りを取り去り中立な意識で見ようとするなら、自然なものが素直に育ち、そうでないものは省かれるだろう。
取り去るどころか唾をつけて眉飾りのツヤを出しただけなら、部分の都合に合わせたルールに沿って呪力を使い、要不要を判断し省くだろう。
お呪いである。
世の中が混乱すればする程、不覚なら何につけ真贋や値打ちが気になるもの。
その一方で、混乱で余裕がなくなった分、時間であれお金であれ無駄と感じれば省きたくなるし、報われるかどうか定かではない地道な努力も省略したくなる。
眉に唾する前にまず、部分の都合で振るう呪力で省こうとしていないかどうか、自らに問う必要がある。
そして飾り立てた基準があれば、外す。
「目を止めてじっと見る」ことがそこで初めて可能になり、「澄み切った目でよく観察する」ことになる。
「省」には「親の安否を良く見て確かめる」と言う意味もあるそうだ。
安否、と言う表現はどうにも良く分からないが、様子の観察に心配が足された感じだろうか。
「帰省」とは、帰郷してそうした親の様子を確かめること。
心配なら眉飾りを装着したチェックも、それは盛んになるだろう。
点滅により虚空の親元に毎瞬帰省している人型生命体が、肉の親元へのたまの帰省には気を揉んでいる。
その奇妙さも含む不思議さ、全体を観た時の途方もなさに、感心する。
旅行キャンペーンには省かれた東京も結局加わるそうで、これから更に騒ぎが複雑化する模様。
不覚社会で判断によって何かを省くことが激化する前に、飾りなしに観ることの必要を書けたのは、有難いことだった。
省かれるのも、時には恩寵と感謝する。
飾らぬ眼、真を観る。
(2020/9/14)