《特効薬?》
“一錠で効いてくれるのがいい”
“眠くならないのがいい”
薬のCMを見ていて「あぁ」と気がつくことがあった。
風邪や花粉症、頭痛に便秘。
人は様々な症状に合わせて薬を飲む。
専門知識のある人や好奇心のある人、心配性の人でなければ、市販薬の成分表示を詳しく見て
「ここに入っているこれはどんな物質なんだろうか」
を気かけたりはしない。
薬を何となく買っている多くの人にとり、重要なのは「どんな感じで効いてくるか」「どのくらい素早く効いてくるか」のイメージが、より好印象で伝わるかどうか。
嫌な症状をなるたけ簡単に和らげるものを、人は求める。
数日かけてジワジワ効くよ、なら人気は今ひとつだろう。
辛いから、今結果が欲しいのだ。
まして薬なしで体質から変えて行くことが可能ですよと言ったお知らせは、「水なし一錠、症状がスーッと消えて楽に!」なノリを支持する人々には、不人気。
地味で、地道で、分かり辛いものは嫌で、
ジャーンと派手に、それかサーっとスマートに、
兎にも角にもチャッチャと楽にが良い。
薬を使わずそれを求めて、魔法を気取った魔術に期待をかけたりする者も居る。
「自然」とか「聖なる」とか掲げて素敵な感じに編集しても、チャッチャ信仰に変わりはない。
不覚は歪みであり高じれば病的な状態も引き起こすが、それ自体病ではない。
目が開いていないだけである。
目を開くなんて直ぐ出来そうなのにと歯痒くなるのは、御神体の瞼の開閉が容易いからだ。
瞬きはそれこそ瞬く間に何度も繰り返している。
だが意識の瞼は、これまで洗いもせずに放っておいたので、
不覚の拘りでビッチリ固められている。
両瞼を封じている、目脂でくっついた所を少しずつ軟らかくして行かないと、動かせやしない。
意識の状態は、御神体の状態より、大分遅れているのだ。
「顔を洗って出直せ」の表現は、言い得て妙である。
投与すれば解決してくれる薬の様な頼もしさと、同じノリを目覚めに求めるなら、
魂に響く“特効薬”を探して取っ替え引っ替え試す彷徨いが続く。
支持出来ると狙いをつけたり願をかけたりした相手の言葉を、薬にしようと求めて貪るなら、パワーワードジャンキーである。
更に自分好みに、欲しい所だけほじくり出して集めれば、
「パワーワード」も「パ ー ー 」となって、文字のガラクタ状態。
不覚の指示に沿った使い方すら出来ていない点では、風邪薬等を大量に飲むことで快感を得たり不安感を払拭しようとする中毒者とよく似ている。
本質とは何かを外から投与して変わるものではない。
本質は変わらない。
何故なら、本質だからである。
虚空を変えた物が有るだろうか?
又、虚空を変えた者が在るだろうか?
不覚が覚に至るまでの進化は、この本質を覆う殻が剥がれて行くこと。
変容は、殻がなくなり本質が顕になること。
顕になった本質は素直な力を発動させ、裏から表へ様々な形となって自由にはたらき出す。
無限の弥栄は、水なし一錠で実現したりはしないのだ。
意識潤す、無数の一滴。
(2021/3/4)