《熟考マニア》
「あれ?」
朝、目が覚めてどうにも奇妙な感じのする日があった。
何と言うか、気配が重い。
重力が普段より少し増している様な感じで、モノコトの進みもゆっくりしている。
「ふぅん」と唸ったが、普段と変わらずやりたいことは沢山あるので、ゆっくりなりにそれらを黙々と進めた。
途中で体を少し動かしてみようと、あちこちのファイルに仕舞い込んでいた書類を引っ張り出して、整理を開始。
バラバラにして、並べて、それぞれ種類ごとに分かり易くして、集めて、改めてファイルに収めた。
満足して一休みだと部屋を出ようとして、何となく振り返った。
ファイルから書類を出し、整理して、又仕舞っただけである。
ぱっと見は全く変わらない。
だが、部屋に流れる気は明らかに変わり、置かれている物達もかたちはそのままでも新しくなった様にスッキリしている。
「あ、成る程。これか」
と納得した。
片付けた書類はどれも、早急に使うものではない。
10月まで続く大車輪なスケジュール進行の日々が終わってから、ゆっくり整理しても一向に構わなかった。
だが、何故かそれを片付け、そのことで大変スッキリとして、そしてこれを記事に書く必要があることも、理解した。
記事に書く為に、書類をちょいと溜め込んだとも言える。
世の中には、熟考マニアと呼べる人々が居る。
不覚社会に生きる人は、何か行動を起こす時、大抵
1.これをしたらどうなるか
1-A:望んだ様に行く方でのあれこれを想像
1-B:望んでない様に行く方でのあれこれを想像
2.AとBを並べてどうか
2-A:どうやったらAに行く確率が増えるか
2-B:どうすればBに行く確率が減らせるか
3.で、結局やるかやらないか
と言った、結構長いプロセスの思い巡らしをする。
熟考マニアとは、1と2は大変熱心にするが、3に「保留と言うかたちでの「今はやらない」」が入る人々のことである。
あれこれ検討する段階を踏んだ後、何かしら行動をする人は、熟考マニアではない。
熟考し続け、それのみで‟何かやってる感”を出したいのが熟考マニアである。
当宮にお越しの皆様であれば、そうした熟考癖にとんと縁がなく「何です、それ」「何をおっしゃってるんですか?」と驚く方もいるかも知れないが、皆様それぞれ見知った人の中に
「やりゃあいいだけなのに全然やらない、意味不明なあの人」
が、おられたら本日記事ではその謎について知ることが出来る。
熟考マニアは、「自分像」についても熟考する。
彼らの多くは、自分達を慎重で、思慮深くて、繊細で、知的、そして不器用で、その分とても誠実だと思っている。
だからこそ、考えに考えてしまうのだと。
意志してさっさと動ける方は、「随分素敵に編集していない?」と、感じられるかも知れない。
そりゃそうなのだ。
実行していない気まずさを誤魔化すには、熟考する状態に素敵感を増さないと格好がつかない。
素敵な感じで飾りに飾ったから、今日まで動かずにいられたとも言える。
思慮深くて繊細でetc、仮に全てその通りだったとしても、実行のない慎重も思慮深さも繊細さも知性も、物理次元の進化発展にとって特に役には立たない。
器用も不器用も、実行しないことと全く関係ない。
実際、前に並べた慎重やら思慮深さやらのどれも熟考マニアには当てはまらない。
中でも誠実には一番遠い。
実際に誠を尽くすなら、熟考ポーズで終わる訳がないのだ。
本編を作らず、予告編だけを沢山撮る人に誠実さがあるだろうか。
実行なき熟考コレクションは、役に立たないどころか、やりたいことが何なのかすら分からなくなる位、当人の意識を眠らせる。
中身の整理が出来ていない「俺全集」「私大全」が窓もふさいで壁一面に並んでいたら、それは内的空間も澱んで来るし、感覚も鈍くなる。
澱んだ重い気の中で行うのに最も楽なのが慣れ親しんだ熟考なので、益々それを繰り返す。こうして、
機を、
熟させる風で、
腐らせている。
どんな宝も据え置くだけなら、持ち腐れ。
訳も分からぬ間に何もかもが嫌になって、不貞腐れもするだろう。
それを変えるなら、することは一つ。
熟考ファイルの手近な一冊を開けて、可能性を盾に先延ばしせずに「ちゃんと整理し」、「やる」か「やらないか」、決めること。
やるなら「本日」から、もしくは「どの期日」で始めるかを明確にする。
期日を過ぎたら「やらなかったもの」として、片付ける。
「やらない」ことが悪い訳ではない。
未練で、気を重くし続けるより余程スッキリする。
片付け始めるのはどこからでもいいし、俺全集を一冊残らず整理しようと頑張る必要もない。
手近な所から片を付けて行くだけで、澄んだ気が巡り、進むにつれて中を見るまでもなく意識が「これファイルごと、もういいかな?」となる。
すると自然に光に還り、内なる空間を塞がなくなる。
空いた所に勢いよく、爽やかな新しい風が吹く。
それはエゴ立俺図書館を持っていたとしても到底味わえない、深く豊かな歓びをもたらす。
熟考に執着して溜め込んだりしていなくとも、どうも行動が減速しているかもとお感じの方々。
「そう言えばいつでもいいかとそのままにしていた件」がなかったか意識を向け、あればその片を付けると内外が新風で活性化される。
お試し頂くと秋からの、恵みを丸ごと味わう準備が万端となる。
まずは一冊、開くことから。
(2019/9/17)