《無理と道理》
「いや、無理無理無理無理、無理だから」
祭が終わり、「すること」の流れは多少ゆっくりになるのかと見ていたが、さっぱりである。
スケジュール帳をパタンと一回閉じてから、二度見したりしているが何度見ても今のところ変わらない。
そんな折、更に上が「知ってる神々」で新たに読み解く題材を伝えて来た。
「馬鹿言うな、あれだってこれだって読み解いてんじゃんか、先月今月読み解き祭ですよ。あ、そうだ祭用だった」
と、文句から始まって気づきに着地。
確かにあれらは素晴らしいが、当宮の記事には一切なることのない読み解きである。
それが、けじめであり、
あと、現地に来て祭りに参加する程の方でないと今の今、消化して昇華するのは難しい様に感じる。
しかし、上から言われんでもこっちだって用意はしている。
当宮でご覧頂く「知ってる神々」用の資料として、既に読み込んで腑に落としている物語がある。
長くなるので来週以降に取っておいてあり、出来る限り分かり易く、全力投球で書く。
そんな気合十分の宮司に上が、読み解きの指示と共に全く違うものを「ペッ」と送って見せて来たので、冒頭の台詞が出たのだ。
どんだけ働けると見られてるのか。
「だから、無ー理ー。ハリーのポッターとか無ー理。
だって絶対長いよ、あれ何冊あるの?
今読み解いてるのは1冊で完了だけど、あれ多分凄いあるでしょ、
ちゃんと読んだことないけど、
しかもどんどんぶ厚くなってる。
映画とかなってて好きな人多いけど、
いや~、無理、だって
あれ、術じゃん。
ん?
あ、だからか」
と、又も文句から始まって気づきに着地。
人が何故、見えざるものと触れ合い、その力を通じて自らに秘められた力を使う時に、術に頼り、又それを好み、そしてそこに酔うのか。
不覚社会で既に術のシステムが機能不全に陥ってガタピシしている現代で、その件について「書くことで引導を渡せ」と言う話らしい。
引導と言っても人が作った仏道という理想郷も既に崩れているので、単に虚空に返す感じとなる。
とんだ死神オファーが来たもんだが、宮司が上にゴネにゴネたポイントの
「無理、ハロウィン月末だからさ。ないでしょ、間が!」
も、
「え、クリスマス?……で、いいの?
……そんなら、まぁ」
と、片付いてしまった。
「じゃー、一丁やりますか」となって、不意に思い出し嬉しくなった。
「理が無いから無理、が広まっているけど、無の理は、虚空から万物が現れる生滅の基本だから、素敵だよなぁ」
無の理がそのまま、
道を成す理となる。
それが分かれば、無理が通れば道理が引っ込むと言った二択の場面にも、
「っつっても、全部無から来てるんだけどね!」
と、爽やかな笑いの風が吹く。
無は色んなモノコトの打ち消し役も担っているから、なかなかに祝われ難くなっている。
だが、無の理を腑に落とせば、あらゆる術は必要なくなる。
それが真の‟魔法”である。
無が成す、有の道。
(2019/10/24)