《気をつける?》
平素「○○しない・ならない様に気をつけよう」と言う発想が、とんと湧かない。
その為にこの度も、
「知ってる人は知ってるだろうし、
知る必要のある人なら、どっかで知るから別にいいじゃんか。
あと、お会いする人に伝えたことはあるしさ」
と、上の示すことに取り合っておかなかったのだが、会った方の一人二人に伝えて「言いました~」となるのは雑かも知れない。
世間を見回すと結構している人居るし、まぁ一応言っとくかとなった。
と言う訳で、本日は呼吸について少々書かせて頂く。
以前、本で
「マスクの網目の大きさがトンネルとするなら、
インフルエンザウイルスは蟻位の大きさ」
と書いてあるのを読んだことがある。ちなみにコロナも同じく蟻んこサイズ。
蟻達が大量に絡まった団子みたいな飛沫状態ならトンネルにも引っかかるのだろうから、全くの無駄とは言わない。
只、そのサイズ差を踏まえて、マスクとは予防と言うより概ねマナーを大切にする意味合いで使われているものだと認識していた。
だが、この度の騒ぎではそうでもないらしく、「手に入った運のいい人」「注意深く油断のない人」としての象徴と言うか、気の弱い人にとってはある種幸運のお守りみたいになっている様に感じる。
そんな昨今大人気で人によっては大分ご執心のマスクは、着けている息苦しさから無意識に鼻の呼吸をあきらめて口呼吸になり易い。
たまたま年末位から、直接お目にかかる方々に向けたご説明に必要と感じ、呼吸について色々調べていたのだが、鼻と言うフィルターをかけた空気と、口で吸った息とでは、質が全く違うのだそうだ。
フィルターなしだと当然見えざるちっちゃな蟻んこも、体内にフリーパス状態。
面白いものである。
幸運のお守りみたいなマスクに安心して口呼吸になるより、ノーマスクで鼻呼吸の方が天然の空気清浄機を使う感じで、ご本人の健康に貢献していることになるのじゃないだろうか。
呼吸の世界はもっと深遠なものだが、とりあえず鼻や肺による呼吸でもこうした皮肉なことが起きているのは興味深い。
両目をアマテラスとツクヨミが示すことはよく言われるが、鼻はスサノヲ。
他の神々を手こずらせた彼のヤンチャBOY時代を思い出し、「鼻が本来の活かし方をされないと、全体の調子を狂わせる」ことを表していたのかと感心した。
「小人閑居して不善を為す」とか言うが、
神も同様で「小神閑居して不全を為す」のだ。
善なら悪とセットのミニゲーム程度で「仲良くケンカしな」と放っとけるが、全体の運びが不能だと元も子もない。
しかし、この世で鼻に対し「もうちょっと高くなればなぁ」とか形の注文以外の注意を向けている人は存外少ない。
鼻の働きって何でか軽視されているのだ。
それを不思議に感じていて、以前に起きた気づきが「あっ」と言う驚きと共に蘇った。
「吐息」ならお色気、「溜息」なら悲しみや落胆が感じられる所を、「鼻息」だと敵愾心や強欲となる。それも割かし間抜けな感じの。
鼻の息が格好いいと誉められたのを聞いたことがない。
カッコ良いかカッコ悪いかって、格を重んじる不覚にとってはかなり大事な要素なのだ。
軽視の理由が分かってスッキリし、成程なぁと頷いた。
この機に皆様それぞれに、顔の中心にあるのにそんなに注意を向けて来なかったスサノヲにご注目頂き、彼の本来の働きを祝って頂くことをお願い申し上げる。
最近、人の集まる場所ではマスクをしてみているが、確かに多少息の出入りがゆっくりとなる。
そんな中でも鼻呼吸を意識し続けるのは、普段は無意識に繰り返している呼吸に集中して向き合うチャンス。
なので、以前にも増して丁寧に呼吸を味わっている。
こんな調子で世間の騒ぎも観察しながら呼吸と言うテーマに意識を向け続けていた当節、ニュースで数千人規模のライブが、スタッフも観客もマスクをして開催されたと知り、驚いた。
ライブはジャンルにもよるが運動量があったり、精神的な興奮も起きる。
つまり相当、スーハーする。
歌が関わるし歓声もあげるし、誰しも口開けがち。
&マスク。
「屋内で一定時間、
数千人での口呼吸か~!
ダイナミック!!!」
もう肺の中にあった色々、みんな交換したんじゃないだろうか。
「酸素&二酸化炭素で、フルーツバスケット」
と、楽しい感じにまとめてみた。
これも又、不覚ならではの変てこな動きである。
「目に見える、最上級に気をつけている感じ」を表明しようとしたマスク対応が、実はそう賢くもなかったと言う肩透かしなお知らせは、全体愛なき策の限界をそのまま示している。
これから様々な場所で、「上手くやったつもりがそうでもない」とか、「そしてそれが割と高くつく」と言った場面が出て来る。
いき詰まるか、進化するか。
興味深い岐路に人類は立っている。
立たされてるんじゃなしにね。
(2020/3/5)