《母なる記憶》
《母力を育てる》を書きながら、又一つ新たに上から来た用件がある。
それを受け取った途端に、絶句と納得が同時に来るという奇妙な体験をさせて貰った。
「ンガググ」と「でしょうな」が同時。
必要だと言うことはすんなり分かったが、スケジュール的にンガググだった。
だがそんなことは当たり前に、全体の流れにとってはどうでも良い話らしい。
そこで、今年しようとしていたあれやこれやを眺めてみて、冒頭の用件より後でいいものを幾つか省いたら、大分予定がスッキリとして来た。
年間で見た仕事の質は上がるのではないだろうか、感謝している。
今回はその、新しい用件についてご報告申し上げることにする。
お目にかかる機会のある方々に限りマンツーマンで、個人及び人類全体に課せられた誤解を解きながら、進化変容のお手伝いをする場を設けている。
この度、それとは別に「全母性」にポイントを絞り、ご自身が認識する母性と全母性との間を塞ぐものを洗い出し、自他を超える母なる力を掘り起こす機会をご用意することとなった。
一回ずつ、その方ごとに必要なだけ行う講座となる。
「必要なだけ」と書いたのは、全母性への理解や実感を塞ぐものの大きさはそれぞれに違うからである。
一回ごとに集中して洗い出すので、初回でもヘレン・ケラーばりに「WATER!」となれば、そこでもう一気に腑に落ちる。
複数回必要な場合、本気を感じればお目にかかるが、と言って際限なくお受け頂けるものでもない。
本気が出ていなければそれを申し上げ、以降お引き受けすることはない。
世の中には、「覚める為の教えを受けている」こと自体に満足感があり、その繰り返しが目的である人も存在する。
そこに水を差す気はないし、そうした繰り返しに付き合って、本気の方々にかける為に必要なエネルギーを費やすつもりもない。
繰り返したければこの際、好きなだけ楽しまれて、御神体を交換してのワンチャンスに期待せず精一杯、今回を全うされること。
楽しい旅おさめを。それ位しか申し上げられない。
誤解を解くことは、意識の枷を外して自由とは何かを知り、迷いなく本道を行ける解放を生むこと。
母力を呼び覚ますことは、内なる全母に通じる出入り口を塞いでいる「個我の言い分(癖・思い込み・刷り込み)」を丁寧に落とし、小さな種火を顕にしてその明かりを育むこと。
後者が必要であることは、進化の本道を順調に進む方々からではなく、立ち止まり逡巡する方々から学んだ。
「さあ誤解は解きましたよ」と、いざ広い道にご案内してもそこから愛の行動に踏み出せないのは、種火の存在を実感していないからだと気がついたのだ。
《原初記憶喪失》と言う記事を書かせて頂いたことがある。
全母の無限の天意によって生かされていること、同時に自ら質においてはその全母と同じであること。
この感覚記憶を思い出すには、不覚的“母”像の溶解が不可欠となる。
肉の母だけでなく、仏の様な慈母や、神の子を産んだ聖母とも違う、全世界の万物を生み成す母の記憶。
それぞれ今の意識を出発点に、その全なる母の記憶に迫り、触れて、感じ、受け入れるのに必要なことをお手伝いする。
その為、今ある個母性が揺らぐかも知れないから困るとか、幼心を満たして感動させて甘えさせてくれなくては困るとか、そうした人々には向かない。
宮司とコンタクトが可能で、全母性を腑に落とすことが必要と感じた方はお問合せ頂ければ、春分過ぎに詳細をお知らせ申し上げる。
お目にかかる機会のない皆様におかれましては、各々“母とは何か”に意識を向けて愛の行動実践に励んで頂くこと。
会えないから、覚めるのも母力の発揮も無理などと言う訳では、全くない。
以前にも申し上げたことがあるが、こちらは今お会いしている方々がご卒業後に「この人ならば」と自らの席をお譲りになった方にしか、新たにお目にかかることが出来ない。
これは「集団を大きくしない」目的によっている。
そして宮司を名乗る“これ”と同じ位に、目を覚ましお分かりになられた方が5人出たら引退し、以降はお受けしない。
それでいいのだ。
お目にかかることのない方へのサポート役は、今お目にかかっている方がなさればよろしい。
その役割を果たせる方の登場をお手伝い申し上げ、間接的に広くお支えすると言う意志で動いている。
今振られた役割をさり気なく全うし、
さり気なく引退してたすきを渡し、
さり気なく新たな役を引き受ける。
引退への力強い一歩として、母力の呼び覚ましを全力で担う所存である。
母抜きに始まるものなし。
(2020/2/10)