《月満ちて》
不覚の個母性が限界を迎えている。
全母性を開いて発揮する時代が来たからである。
不覚の戦略が破綻を迎えている。
略せない愛による進化発展の時代が来たからである。
覚は給食や生活保護みたいに、福祉として人道的に配られたりはしない。
「神工呼吸器で、息をさせよ」の望みは不自然であり、通らない。
人類の旧式な、やりたい放題が行き詰まりを見せている。
何だかんだ言っても、これは順当な運びである。
月満ちて、陣痛を起こし、破水し、分娩する。
何一つ、問題などない。
生まれるものは生まれる、それだけだ。
自ら生まれようとする方々は、宮司を名乗る“これ”が体験したものよりもスムーズに、変化を起こされていると感じている。
だが、そうした動きに至らず、
「目覚める気はあるんだから」
「スピリチュアルに関わってるのだから」
「教えてくれる人もいるんだから」
さあ安心と、寝転んだ人々は、不覚社会を丸洗いする混乱に一緒くたにまかれて行っている。
大きな波が来るよと、何度も伝えたにも関わらず。
と、言うことは結果として波待ちだった訳だから、待望のビッグウェーブ到来に感謝してもいい位である。
「そんな苦しみに、私のことだけは晒さないで欲しかった」
そう思われる方は、今一度、意識内にある「自他」の別について向き合い、それが溶けて消えるのが進化変容なのに、
私ゃ、何だって進化変容を望んだのだろうか?
と、自らに申し伝えることだ。
それから当たり前に、何でもありを傘にきた、ないものねだりが通る新世界ではないとお認めになられること。
許されないのではなく、只単純に、通らない。
「ないものねだってるんだなぁ」と、天も地もその姿をそのまま受け入れ、そしてそれに対し何も忖度しない世界である。
さて、月満ちて、秋の祭がやって来る。
お目にかかる方も、かからない方も、どうぞ素敵な連休を。
素敵にしなくても素敵なのだ、元は何もかも素敵であるのだと言うことに、お気づき頂ければ、これに勝る歓びはない。