《旧への感謝》
コロンボ作品を観ている内に、人類にはもっと“旧への感謝”が必要なのではないかと気がついた。
先日記事で申し上げた通り、男性性と女性性の調和によってコロンボは多くの冴えた仕事を成した訳だが、今ここで起こることに集中しつつ、必要とあらば絶妙なタイミングでかみさんの話を出すのに、あるスイッチを必要としていた。
煙草である。
シャーマンが見えざるものと交信する時、様々な葉っぱをプカーッとやったりする様に、コロンボは煙草の一種、葉巻を吹かしてかみさんにアクセスし“呼び出す”。
人が全力を発揮しようと言う時にこうして、何かしらのアイテムが必要になることが不覚全盛時代にはままあった。
コロンボシリーズの放映が始まったのは特に「煙草?当ったり前」な時代。
スモーカー達は大手を振ってスパスパやり、嫌煙家などは極度に神経質な頭のおかしな連中扱いされる様な風潮があった。
当時の人々に、今の煙草と喫煙者を取り巻く状況を話したら「そんなバカな」と笑われるかも知れない。
とてもじゃないが信じられないだろう。
現代からそうした喫煙者の楽園時代を眺めると、多少のロマンはあっても不健康で野蛮と感じられるのじゃないだろうか。
「現実での喫煙は、もう時代錯誤も甚だしいし断固お断り。
せいぜいフィクションで吸うにとどめて欲しいし、
幾ら冴えた仕事をしても煙草を手放せないコロンボの調和など、
結局偽の調和ではないのか」
そんな風にお感じになる方だって居られるかも知れない。
確かにこの変容の時代になってまで、何かアイテムを手にしてでないと仕事にならないと言うのはおかしい。
しかし、その様に進化出来たのは、前の時代に煙草や酒等を手に旧スタイルでの仕事を存分に為した端末達が居たからこそなのだ。
様々な人々がありとあらゆる体験をしてくれて、し尽くした状態になったから、身一つでの覚による変容が求められる時代が来た。
コロンボは目を覚ましてはいないが、かみさんを愛し、真実を愛している。
見えざるかみさんと共に、真実を求めて謎を解き明かすのが、彼にとって愛の発揮となる。
その時代その時代に、やる必要があることは違う。
各時代にそれぞれ全力で成された仕事には優劣がなく、
どれも掛け替えがなく素晴らしい。
不覚のままで観客の前に調和を出現させて見せるコロンボ仕事は、なかなかの大役。
テレビドラマや舞台でコロンボを演じた俳優は他に二人おり、ピーター・フォークは三代目コロンボらしい。
信濃のコロンボをカウントするかどうか一瞬手が止まったが、正式なコロンボは現時点では三代目までだろう。
三代目のフォークは、ずっと同じかみさんを愛する刑事を演じつつ、実生活では一度かみさんを一般女性からコロンボシリーズに出ていた女優にチェンジしたりしている。
そして、亡くなる数年前にはアルツハイマーを発症し「自分がコロンボであったことも分からなくなって」世を去っている。
これらの点から、コロンボ≠フォークであることが確認出来る。
役割と役者が別の存在であることについては、該当する冊子をお持ちの方はYAZAWAと永ちゃんの関係をご参照下さると、分かりいいかも知れない。
余談だが、しなコロも何人かの俳優が演じている。
一つの端末に収まりきらないのが「コロンボ」の、「YAZAWA」との違いかも知れない。
後、単純に信濃の事件発生率は一体どうなっているのか。
コロンボと言うミッションを、俳優達が授かって体現した。
それは全く大仕事であっただろう。
旧時代における全力仕事の大きさ重さを感じ、心底からの感謝を捧げた。
同時に「只今の時代に必要とされることを、真剣に全力で行うこと」を今一度、決意した。
「どこが道なのか」「いつ開けるのか」と悠長に待ちたい者は幾らでも待つが良いが、全体一つの流れは待つ者を待たないし、待つことに意味はない。
歩く所が道になるからである。
感謝と共に、歩む未知。
(2020/5/28)
コロンボをコロンボばりにしつこく追っていたら、さっぱりふろくが降りて来ませんでした。
今月はお休みし、来月以降のどこかの月で二つご用意します。