《損を超える》
『たんけん ぼくのまち』で最終回にチョーさんは念願の店長になるらしい。
その店名が、
「絶対に損はさせない店
あなたのチョーソン」
冗談みたいだが、NHKアーカイブスの名作選として紹介する記事に書いてあった。
「チョーサン」から一文字変えてきましたよ、と言う意味もあるだろうが、ローソンは何も言ってこなかったのだろうか。
国営放送は「商品名企業名キャラクター名は出さない」とかの拘りを見せる一方、変な所で攻めて来る。
絶対に損をさせない店であるのだから、「お客さんではなくチョーさんが損をしますよ」と言うつもりなのか。
更に「物凄く損しますよ、超・損ですよ」の意味も乗っけているのか。
「行動による昇華と言う、折角の弥栄な内容なのに、終わりになって損とか得とか、今更何を言っているのだ」
と、鼻にしわを寄せていて、ふと気がついた。
チョーさん、損、超えるの?
「すっごく損」ではなく「損と言う概念を超える」のなら話は分かる。
損得抜きには語れない不覚の売買を超える時、
全体一つの流れの中で、商いと言う交流が起きる。
相手が何を必要としているかに気づき、そこに相応しいものを用意してマネーエネルギーと交換することは、愛である。
自分が金を必要としているのに気づき、必要を満たす為に顧客を集めてマネーエネルギーを吸い上げることは、愛とは言えない。
皆さんに祝われての出立。
交換して、更なる流れを起こして行くことで豊かに繁栄するのが本来。
虚空に支えられて、物理次元全体が繁栄する。そこに継ぎ目はない。
そんな全体からすれば誰が得をして誰が損をしたかや、どうすれば得をし続けられるのかと言ったことはおよそどうでもいい話である。
金銭の損だけでなく「骨折り損」と言う言葉もある。
人に何かして貰うことに対し不覚の人々は「お骨折り」と言ったりするが、行動することを損としたりも出来る。
全体一つに還ると、行動の損得も消える。
只、量に驚くことはある。
先日、上から「おじさんさぁ…」の呼びかけを皮切りに、「ちょっと頼まれてくんねえかな」的に新しい業務が示された。
「え~、だっておじさん、この夏めっちゃ作文おじさんじゃん」
こうしろとでも?
と、正直な返答が出た。
そうなのだ。
当宮記事の作文、お目にかかる方お一人ずつに向けた作文、秋の祭り用の作文。
宇宙のおじさんと言うコーンに、
アイスがトリプルで乗っている状態。
溶けないうちに美味しく頂きたいし、皆さまにも振る舞いたい。
そこにおかしなトッピングやめろよ崩れるだろうが、と難色を示したら、どうやら秋の祭を終えた後で良いらしい。
「まぁ確かにそうだ。まだ誰も行ったりやったりしないもんなそういうの…」
、と難色から理解に移行し納得したところで
‟しらないことが
おいでおいでしてる”
が、聴こえて来た。
未知こそ面白である。
作文目白押しの状況を抜けたら、ひとつチョーさん気分で、口笛吹いて出かけてみることにする。
超えてこそ、分かる弥栄。
(2019/8/1)