《戦略の破綻》
「いや八方塞がりで、全くの手詰まりだ」
珍しくこんな感じのご報告を頂いたことを切っ掛けに、目を覚まそうとする方々の中に
「行き詰まりと感じる状態になって、気力も萎えて混乱している」
と言う方が出て来る理由について改めて意識を向け、理解が深まったので本日記事にて書かせて頂くことにする。
順調に内なる旅を続けておられる方々にとっても、目覚めることを決めたはずがあれこれした挙句に混乱に陥る人々について知る機会となる。
停滞し混乱した状態となっている方に共通するのは、目覚めや見えざるものや神仏について、非常に戦略的に事を運んで来たと言う点。
「無欲で信心深く素直で無邪気」な体で振る舞っている方も
「神に好かれそうな感じを演出」
の目論見でそれを行っていると、虚空や神仏には当たり前にバレるし、宮司を名乗る‟これ”にも分かる。
「懸命で健気で熱心で我慢したり悩んだりするけどそれでも頑張る」と、本気な体で振る舞っている方も
「天が情けをかけてくれそうな感じを演出」
の目論見でしていれば、それも同じく分かる。
分かるが、それを叱る気もない。只、
「それをし続けても神様仏様虚空様から伝わる返しは、何もないでしょうけどね」
と、感じながら観察している。
神仏や虚空から送られるメッセージには、戦略的な個人が「嬉しい!」となる様なものは特にない。
戦略家の耳に、戦に役立たないものは届かない。
単純なことだ。
万物を生み成す全母たる虚空や、神仏の名でも呼ばれる様々なエネルギー体。
それらと実に当たり前な付き合いをしていると、付き合いと言うか一体で楽しんでいると、わざわざ見えざるものへの探究について「スピリチュアル」と言う呼び方をするのに、仰々しさを感じることがある。
殊にまだ、不覚の人々がスピリチュアルに特別感を乗っけて扱っている2019辺りでは尚更、この仰々しさは目立つ。
崇め誇ってみたり、逆に「トンデモ」呼ばわりで馬鹿にしてみたり、上げるか下げるかで、落ち着いているのをあまり見たことがない。
略して「スピ」「スピ」言う方を見たことがあるが、業界関係者的な雰囲気を出す意味で使っていたのか、却って気負いの様なものも感じられた。
有名人の肩に腕を回して、友達風に写メ撮ろうとする感じである。
スピリチュアルは人ではないので抵抗もされず、なおのこと肩抱き放題状態だが、どれだけ馴れ馴れしくくっ付いたって、あやかれるものはないし、その親しさは対等や中立とは言えない。
何故、気負うのか。それは戦略だからである。
戦なので、食うか食われるかがあり、緊張と興奮があり、安心と不安があり、勝ち負けがあり、希望と絶望がある。
そして、愛はない。
不要なものが山積みで、たった一つ必要なものがない時、当たり前に何も始まらない。
始まらないし、これまで幾度も申し上げてきた通り、不覚と言う古いゲームのサポート期間が終了し、遊ぶことが出来なくなっている。
手詰まりにもなる訳である。
「スピリチュアルと言う、
ありがたいものに関わっているのだから、
行く手を塞ぐ邪魔なんか入らないでしょう?」
と、勝手に「この業界は不覚の外!」と勘違いされている方もおられるが、当たり前にスピリチュアルを使った自己実現は不覚遊びの一種である。
「聖なるもので己の格を上げたい」
「凡俗から脱して秀でたい」
「神に選ばれし優れた存在となりたい」
これらの矛盾した欲望は、「彼女欲しい!」「お金欲しい!」と言ったシンプルな欲より更に業が深く澱んでいる。
脂ぎった肌に白粉をはたいても、じゃんじゃん崩れて来る。
「どうせ大した化粧も出来ないから」「億劫だから」と、そんな気力も湧かなくなるのは、不覚ゲームでは危機的状況に見える。
しかしこれは裏を返せば、素顔を磨くチャンスと言える。
「面洗って出直す」と言う表現があるが、お飾りの粉も、その下の過剰な油分も、毛穴に詰まった汚れも一旦さっぱりさせる必要がある。
まずは重ね塗りで作り上げた自分像への執着を止めること。
面子を保とうと頑張るのを止めることだ。
「これが自分」「こう言うのが自分」と信じた化粧が落ちて行くのを避けないこと。
「これまでみたいにちゃんと出来ない」
「こんな弱い自分は知らなかった」
結構ではないか。
戦いすんで日が暮れて。
戦略家達の皆が皆、さあ企むぞと意気込んで虚空や神仏や自らのことを騙そう操ろうとして来た訳ではない。
戦略的なやり方以外、知らなかっただけの人々も居る。
他の動き方を知らなかったし、何より愛を知らなかった。
ばっちり企んでの戦略家達も、やはり愛が何なのかは知らない。
愛とは何なのか、字は知っていても本当の意味では良く分かっていなかったことが、あらゆる戦略の始まりと言える。
戦略が破綻し、気力が萎え、恩恵が消え、暗闇で、まるで死に行く様な感覚に陥る時。
愛について知る、又とない機会が訪れている。
その機会、活かすも殺すも自由である。
次回も、戦略について。
(2019/9/27)