《愛で割るなら》
この所、前に増して「母性」に意識を向けている。
母なるものに意識を向け続け、内に深く潜って行く過程で、避けて通れないものに遭遇。
それが「おっぱい」だった。
そんな時、丁度そのおっぱいにも関係する記事を発見。
介護職に就く人々の7割超が要介護者からのセクハラを経験していると言う内容だった。
自他が分離したままで年を取ると、損得や善悪で判断をして行動を制限する意識内ソフトにガタが来ることがままある。
我儘で困らせてみたり。
加えて、衰えたことで心細くなったり寂しさがつのったりと感情の不安定さも増すので、やたら誰かに縋り付きたくなるのだろう。
縋るついでに、「俺・私はまだまだ生き物として大丈夫」と繁殖力の確認をして、元気と結びつけようとする。
される方はショックを受ける。そんなつもりで働いていないからである。
する方とされる方。それぞれの認識する「あるべき世界」像が全く違っている。
この介護職セクハラの件については以前にも教わったことがあり、その時に浮かんだのと同じ驚きが今回のニュースを読んだ時にも再び出て来た。
「何故、ココナツをはさまないのか!」
これだとてんで分からないだろうから、順を追ってご説明申し上げる。
セクハラ全体の狙いはお胸に限らないだろうし女性だけにも限らないが、本日記事では「女の胸への執着」にフォーカスしてみる。
幼心をなだめる安らぎや、性的な興奮を求めて人が他者の胸を勝手に触る時。
そこに求めているのは、感触と反応。
この二つを一気に遮断するのが、こちら。
ガッシと掴まれた所で、お胸の持ち主には何の感触も伝わらない。
感触がないなら「キャッ!」「やめてください!」の反応は起こりにくい。
怒りも、我慢も、屈辱も、恐怖も出て来にくくなり、あるのはせいぜい馬鹿らしさ。
お触り自体が無かった様に振る舞えるし、気が向いたら「助平心、お疲れ様でーす」と軽い会釈でも返して放っとく位になるんじゃないだろうか。
明るく豪快な方なら、ガッハッハと笑うことだって出来るかも知れない。
「そんなバカみたいなこと出来る訳ないじゃないですか」
「疑ってかかるみたいで、セクハラしない方達に失礼じゃないですか」
と言った様な感想でココナツ案を不採用とするなら、それはコロンブスの卵を
「先端割って立てるってズルくない?」
彼の逸話じゃないそうですが。
と、言うのと同じではないだろうか。
テーブルに卵が立たなくても誰も困りゃしないが、自由意志を無視する態度によってお胸が乱暴に扱われると女性性、ひいては母性の開花に影響が出る。
「○○しないようにする」動きにはとんと興味が湧かないのが覚の世界だが、「触りた~い」「触られたくな~い」の堂々巡りでは切りのないことを認めなければ先に進まないので、申し上げる。
加齢でぼんやりした意識をシャッキリさせる特効薬の開発を目指したり、人に倫理や道徳に従って生きることを何度も促して改心させることを試みるより、無理にでも触れたい人と勝手に触れられたくない人の間に「固い物質」をはさむ方が早いし確実である。
理想を叶えようとする目指しや試みが上手く行った試しがないから、延々同じ所を回っているのだ。
百の投薬千の説法より、
一つのココナツ(二つに割れるので)。
とは言え別にココナツでなくとも良いのだと、「固いブラ」「硬いブラ」「強いブラ」等で検索してみたが、何も出て来なかった。
大きく見せるとか、綺麗に見せる工夫が出来るなら、触れても嬉しくない様にする工夫だって出来るはずなのだが。
内側はやわらかく支え、外側はかたい二層構造にすると快適な着け心地も叶う。
ちなみにお尻回りだってこの様に覆える。
デザインが仰々しければ、強い素材を内蔵したカフェエプロン風にすれば、表にはポッケもついて業務にも便利な一品が完成。
こうしたものが実現したら、触る側は相当ガッカリするだろう。
「わしゃ、生きる楽しみを失った」
とか言い出すかも知れない。
しかし、人型生命体のボディーは御神体。神は個のエゴが抱える欲求を満たす為に存在しているのではない。
被害者も加害者も居ないので、単にセクハラと言う現象が発生しているだけだが、この現象には執着や忍従があるばかりで敬意がない。
存在への敬意なき所に、愛もない。
愛で割るなら、卵が立つのも真理の表明になるし、
愛で割るなら、ココナツブラも自由の表明になる。
ココナツを挟むのは拒絶ではなく線引き。
相手の触りたい気持ちも歪ませようとしない、自由を認める動きでもあるのだ。
次回も、お胸の話。
(2020/3/16)