《幻と覚》
ニュース等で見聞きする度に「何だそりゃ」となり、「この呼び方をどこまで続ける気なんだろう」と、不思議に感じるのが「覚せい剤」と言う表現。
覚醒は意識一つ身一つで成せるし、中毒にはならない。
毒じゃないからである。
なのに何で、毒にもなり得る薬剤が毒じゃない覚醒を騙るのか。
全然違うでしょ。
不思議だが、人間は嘘が好きだから「酷い嘘コンテスト」でも集合意識内で開催しているのかも知れない。
そんな嘘祭は放っておくとして、実際の覚醒とはまるで違っている状態を起こすあれらは、では何と呼ぶのが的を射ているのか。
そこが知りたくなった。
このテーマについては以前にも読み解いてみたことがあるのだが、今回は理解を更に深める良い波が来ているのを感じた。
と言うことで改めて意識を向けてみたら、あれら薬剤にまつわる不覚行動は進化が止まっていると言うか、全一の流れに全く合っておらず、凍結していた。
「ひぇ~、ガッチガチやぞ」
と、凍てついた固い不覚地面を掘り起こし続け、やっと腑に落ちる呼び方が出て来た。
大変スッキリして嬉しかったので、皆様にもご報告する。
あれは、
減圧剤
である。
仕事や家庭、交友関係による重圧、社会を覆う先行きの不透明感の圧力、時代の流れについて行けない無力感から来る圧力。
胸塞がれる苦しみを招く様々な圧力を、ああした薬剤は感覚麻痺によって一時減らすことが出来る。
圧を感じなくなったことで、仮初めの全能感がもたらされる。
そうなりゃ憂いや不安は消え、ためらいも消え、冷静さと大胆さが宿る様に感じ、普段では思いつかないアイディアやイメージが湧きもするだろう。
だが、別に魔法が使えた訳じゃない。
単に圧が感じられなくなっただけである。
裏を返せば普段どれだけ、疑い怯え震えているかと言うこと。
おっかなびっくりで震えながらして来た所に、震えが止まったのならそりゃ上手くも行くだろう。
人は、それを至福と勘違いする。
圧はその時感じなかっただけで、別に消えてはいない。
有効期間を過ぎて再び圧に晒されると前よりそれを重く感じ、これまでになかった圧への恐怖が膨らんで、更なる圧の幻を作り出す。
存在していない幻の圧にまで怯えて暮らす様になる。
これが副作用と呼ばれているもの。
減圧剤は、そのまま幻圧剤になるのだ。
幻覚とは、おかしな表現と言える。
幻と覚は本来、全く相容れないからである。
減圧剤は、薬剤に留まらない。
アルコール等の嗜好品、脳を刺激する娯楽品、あらゆる種類のマインドコントロールetc。
減圧する力が高い程、中毒性も高くなる。
人生上発生する様々な圧は元々進化変容に活かすチャンスとして起きている。
減と幻の堂々巡りを抜けるには、自ら圧を恐れぬ決意をするしかない。
そして決意の前に、必要なことがある。
目を覚ましたいのか、苦しみを除きたいだけなのか、
自身の中ではっきりさせることが求められる。
誰も逃げられない。
(2019/12/2)