《小さな太陽》
暗い冬から、明るい春になるのを待ち焦がれる様に、不覚社会は普段闇より光の方を断然好んで暮らしている。
日が昇り朝が来るのと変わらず、日が暮れて夜になることも全体一つの運びであるのに、光が現れる方に比べて消える方はあまり喜ばれない。
そう言えば初を待たれて祝われるのも日の出のみで、初日の入りについてはとんと聞かない。
「この世が闇に包まれる」
なんかは、大変よろしくないお知らせに使われる表現。
人は、見えなくなること、消えること、死ぬこと、滅ぶことを、そりゃもう恐れ忌み嫌っている。
そしてその祝えない要素の一切合切を、夜や闇の暗さに重ねて出来る限り遠ざけている。
闇を支持する者達も居るが、これは少数派となることによって少しでも特別な存在で居たい願望や、陽のあたる場所を好む多数派に対しての反発に依っている。
闇を支持している方も、「闇は忌み嫌われるもの」と言う認識の元にその支持を行っている。
支持は祝福ではないのだ。
光と闇に対する差の付け方は、陰と陽においても見られる。
順序は逆で、陰が闇で陽が光に相当する。
陰気なのは駄目で、陽気なのが良いとされる。何にせよ暗いより明るい方がいいと言う所は、表現を違えても変わらない。
その極端な肩の持ち方については、以前から「傾いてるなぁ」と感じていたのだが、冬から続くウイルス騒ぎに関して知らされたことには驚きの余り、引っくり返った。
陰陽の扱いが引っくり返っていることに、ビックリして引っくり返った。
ころんころん。
太陽コロナは、輝くお「日」様である太陽を取り巻く高温のプラズマ。
それに姿が似ているとされて名がついた微小なウイルス。
その言ってみれば“小さな太陽”が連れて来る、呼吸器官の「炎」症。
人が明るい光として好む日や火によって人が滅することもある。
と言う、お知らせ。
お知らせと言うか、人類が長きにわたって光を求め続け闇を避けて来たことが大きな傾きを作り、そこが決壊してビックリする様な「じゃない方」による洗礼の場面を生んだ。
これも又、全体一つの運びではあるが、不覚の意識には災厄として映る。
太陽の様に輝かしく陽気な存在でありたい人も、只今この時期「陽性」になることは避けたいのじゃないだろうか。
陰性とされれば一安心。でも陰気なのは良くないしと、もう大混乱。
手が付けられない。
この件に関してハッとなって腑に落ちた皆様、そこまで行かなくとも何となく分かるとお感じになられた皆様は光や明るさ、陽と併せて、闇や暗さ、陰を祝うことをお始め頂きたい。
不遇だった片方を殊更持ち上げるとかでなく、両方同じ様に祝って下さればそれで結構。
陰陽は不可分である。
一日の間で、目を閉じて寝ている時間の方が、目を開けて起きている時間より短いのは確か。
だが、起きている時も瞬きをして、「目を開ける」には常に「閉じる」が陰の様に寄り添っている。
ずっとかっぴらいてみて御覧なさい。
直ぐにお目目が乾いて痛くなる。
空間が点滅している状態について今一つピンと来ない方は、この瞬きみたいに無意識でも出来ていると申し上げれば分かりいいのかも知れない。
人は毎瞬目に映る輝きを、瞬きしながら体験している。
光も闇も、陰も陽も、好かれようが嫌われようが、どちらも片時もあなたから離れたことがない。
あなたの本質は虚空と言う「全て」だからだ。
祝えぬものを巡って世間で大論争が展開されているのは好きにさせ、
虚空であるあなたの元に、あらゆる両極を全員集合させて頂きたい。
小さな太陽には死ねと言う?
(2020/3/26)