《実なき業》
相変わらず、様々なテーマに意識を向ける日々。
先日来た、中でもちょっと風変わりなテーマが
美少年
早速、人類意識は一体どんなデータを美少年と捉えて来たのか、文化遺産を発掘開始。
それが、やいのやいの言ってることだけは分かるが、全くまとまりが付かないデータだらけ。
全然違う様式の土器が出て来るのをコツコツ取り出しては、延々と並べている気分になった。
『イルカにのった少年』を発掘した辺りで「あーこりゃきりないな」と気づく。
我々はどこから来てどこへ行くのかには答が出たのに、美少年がどこから来てどこに行くのかは、完全に見失った。
只一つ、大きな勘違いがあったと知れたことは収穫だった。
てっきりこの存在が「イルカにのった少年」なのかと認識していたが、歌を聴いてみると全くの第三者。
じゃあ、誰なのだ。イルカにのった少年は。
よくよく見ていたら、美少年かどうかも分からないし、これは「イルカに乗って現れる少年を知ってる青年」である。
そもそも歌に出て来る少年もイルカに乗っているだけで、美少年とは一言も言っていないと気がついた。
何かワーキャー言ってる中で歌っているし、そうか不覚が美だとする条件を褒めちぎる場なのかと、こっちが早合点しただけだ。
結果、美少年はおろか少年自体が居なかった。
勘違いを詫びて、水平線の向こうには居るのかも知れない少年と城みちるをまとめ、イルカもろとも遠投で海に帰した。
「美少年」と言うテーマの読み解きは、参考物件が溢れ過ぎているのと、
要素を一字ずつに分解すると、溶けて消えて行くことで、極めて難しくなっている。
美→不覚が美と認識しているものは美ではない
少→何と比較して、どこからどこまでだと少なのかが不明
(例:小さくてかわいいとされるどの赤子も、フリスクのケースよりは大きい)
年→全て今である
この様に、美も少も年も、理解しようとかみ砕いているうちに口の中で消えるのだ。
実態が無くて、それ故に業が深いものの代表格かも知れない。
甘い雰囲気だけ残して消えるところは、キャラメルコーンに似ている。
関係ないが不覚時代に、キャラメルコーンは「口の中で溶けて消える」から「カロリーはほぼない」と思っていた。
無ってことはないだろうが、何しろなくなるし大体玉こんにゃく程度と踏んでいたがある日、パッケージの裏を見てビックリした。
意外と高くつく、のは美少年も同じかも知れない。
美少年を追いかけることに生命力の大半をつぎ込む人々もいるし、美少年であることに慢心して大人の男になる機会を逸する人々もいる。
その人物がそうだとは言わないが、かつてアイドルだった存在が、摂取するのを禁止されている乾燥した植物のことでとっちめられているニュースを眺めて、「人類酔いやすく、大人成り難し」と感じた。
丸ままの愛で今に居ることが至福。
福に至る力を削ぐのは、何も憎らしく避けたいものばかりではない。
理想を追いかけることで発生する脳の快感を求めて、さして変わらぬ場所をぐるぐる回り、実なき業を重ねる時期は既に過ぎた。
そのことに気づく者達は、これまでにない丁寧な観察を物理次元で日々行い、新たな美しさを発見し、自らの美意識を不覚の定めた条件から自由にし始めるだろう。
伝説の美少年、『ベニスに死す』のビョルン・アンドレセンであっても割かしあっさりと、全く印象の違うおじさん、そしておじいさんになったことから、人類はもう少し学んでもいい様な気もする。
追えど果てなき、砂漠の逃げ水。
(2019/5/23)