《圧と皮》
「いやぁ、盛り上がって参りました」
と、手拍子でもしたくなる感じで不覚社会のワイワイを眺めている。
オリンピックどうすんので右に左に揺れまくる中、
ワクチンどうなんので更にシェイクして、
緊急事態宣言で上から押して、
商売あがったりで下から押し返し、
「チーン!」
で、何が出来るのか不明な料理が穏やかじゃない音を立ててレンジの中で振動している感じ。
レンジに例えたが、上からは「地獄の釜の蓋が閉じる」と言われたことがある。
地獄の釜の蓋が開いて、災厄だか何だかがボンボン飛び出して来るぞと言う、お叱りとか罰ゲーム的解釈での脅しめいた発信をした人間もかつては居たそうだ。
釜の蓋開きは、地獄運営スタッフでもお休み出来る時期よと言うホッコリした休暇宣言だったのだが、ヤなことが地下から湧いて出ると言う発想で再解釈したのなら、
「不覚社会こそが最も混乱し矛盾に満ちた喜怒哀楽で遊ぶ騒がしい“地獄”」
と言う点を見逃している。
そのヤンチャし放題の青春地獄が、一旦蓋をされるのが只今の過渡期。
何で蓋するかと言うと、必要な圧をかけて変化を起こす必要があるから。
不覚社会と言う、
地獄の釜は圧力釜。
圧力釜に向かって「圧など要らん」と言う人は居ないし、何で蓋すんのよと言う人も居ないだろう。
若かろうが老いてようが、
男だろうが女だろうが、
家庭があろうがなかろうが、
地位がどうでも資産がどうでも、
その他およそ何が何であろうと、
まるっと逃げ場のない圧で満たされる。
火が通り出したのか、この所は人が維持して来た上面や体面の“化けの皮”が剥がれる場面がますます出始めている。
出方は様々だが、「見せてくれるなぁ」と感心する盛り上がり。
「里芋の皮も生だと剝きにくいけど、
茹でるか蒸すかするとツルンッだもんね」
と納得し、頷いたりしている。
世の中で、化けの皮が剥がれる場面を見つけた方は、それをヒントに「上面を保つこと」の無意味さを腑に落として下さることをお願いする。
作った皮がベロっと剥がれて行った時が、当人にとって最も大きな変化の機会。
だがその後も「剥がれてませんけど~」と知らん振りして古い皮をかつらみたいに乗っけたり、更なる皮をこさえて張り付けたりすることは起きる。
どんな機会も単なる不運や不徳に変える頑なさは、不覚ならでは。
体面を再構築するのは相当なエネルギーを使うし、周囲のツッコミに備えて鈍感さを増さねばやって行かれない。
すると、当然に気づきの機会は減り、強まる圧の中で萎びて干乾びるのみとなる。
派手に皮が剥がれるだけの人々は、見本提示係をしてくれているとも言える。
化けの皮丸剥がれ博覧会を、活かすも活かさぬも覚め行く人々の意識にかかっているのだ。
有難く、学んで活かそう。
(2021/5/17)