何やかやで長くなりました。
お休み中、手の空かれた折にでも、気楽にご覧下さい。
来週は、火・金の更新となります。
では記事へ。
《共に輝く》
男性性を担当する分割意識と、女性性を担当する御神体。
両方の和合が、結ぶ魂の『結魂』である。
当宮にお越しになられているグッドセンスな皆様方におかれましてはとっくにご承知の、このこと。
結魂が必要であるのは分かるし、そうしたいのは山々だが、さて一体どの様にそれを成すのか。
肉体と言う1番目の体のみではあるが、御神体は目で見ることが出来る。
けれども分割意識は目に見えない。
なので、意識の眠りが深いと実感も曖昧になる。
分かり易く、お伝え出来るヒントはないか。
目で見ることの出来る男女。
両者の息が合って輝く場所。
そうした問いから気づきが起き、先日、競技ダンスの大会を観に出かけた。
会場は郊外の体育館で、中にはプロも居るが参加者の殆どはアマチュア。
観客席ではお友達の応援に駆け付けた奥様方が、タッパーのお弁当を広げて気ままにお喋り。
ガラガラなので靴を脱いだ足を、前の席の背もたれに乗っけて、のびのびしている男性も居た。
そんなざっくばらん空間でも、踊る方は真剣そのものである。
相当遠くからでも、観る側の目を射抜いて来る、光を振りまくコスチューム。
弾けるアクション、全力の笑顔。後、時に真顔。
目が覚めてからは、何よりも新体験に大喜びする様になった宮司。
見たことないものだらけの競技ダンス鑑賞に
「いやぁ~、面白いもんだなぁ」
と、感心しながら観ていたら、中に一際輝くペアを発見した。
男性の方が女性より頭一つ以上、お背が低い。
リードするとか、支えるとか、並んだバランスとか、そうした点では不利かも分からない。
けれど、それらをものともしない見事なダンスだった。
動きのキレもさることながら、活き活きした自然な笑顔。
身のこなしからも、表情からも、踊ることへの歓び、そして、この相手と共に踊ることの歓びが溢れていた。
歓びの放出点の様な状態になっており、彼らから放たれる細かな天意からの愛に、こちらまで感動で湧き返った。
その後の表彰式で、優勝されたお二人。
実際のご夫婦でもあられるようで、夫婦にも優勝にも「成る程ね!」と頷いた。
男であること。
女であること。
夫婦であること。
その全てが真価を発揮して、
共に輝き、愛の昇華を成していた。
凄いことである。
「恩恵に浴する」って、こう言うことかと納得する程、大盤振る舞いの愛を浴びさせて頂いた。
息を合わせて踊るには、根気と努力、そして愛が求められる。
それは分割意識と御神体のコンタクトにも通じる。
競技ダンスのペアが一体となって踊る姿から、学べることは多い。
全身バネみたいなしなやかさで、華麗なステップを披露するプロやセミプロのペアからは、あのペアに観た美は、感じることが出来なかった。
ビジネスパートナーとしてのペアだと言うことや、「こんなん出来ますのよ、どや」なアピールが込められていることもあるだろうが、何より
この大会は自己を高める通過点
と認識していることが、美が本来の美で無くなっている理由に感じた。
「何と、ありがたいものを観たことか」
「出会えて良かった」
と、宮司が感謝したあのペア。
彼らには毎試合、毎瞬が到達点で、その全体が愛の軌跡なのだろう。
彼ら以外にも美を感じたのは、どれもアマチュアでシニアのご夫婦ペアだった様な気がする。
晴れ舞台で気が張っておられることもあるだろうが、
肌に皴があろうが、シミがあろうが、寄せて上げてがたるんでいようが、
後頭部とそこを取り巻く髪が日の出と雲海みたいになってようが、
又は右から左へのスダレみたいになってようが、
そんなもの知ったこっちゃないとばかりに、
どの方も背筋を伸ばして、堂々として、美しかった。
全力を尽くしている人であるだけでなく、男として、女として、輝いていた。
格好いいって、
こう言うことなら納得だ。
閉会まで見届け、心底より感謝して会場を後にした。
不覚であれば、どうしても意識に限界はある。
それでも、そこでベストを尽くされている方には、清々しい愛を感じるし、拍手も贈りたくなるのである。
素晴らしき愛の舞。
(2019/5/2)