《児と盤》
「順調に鈍くなっていて、見事なものだ」
と先日、世間の動向を観察していて感心しながら頷いた。
全体一つの感覚記憶を思い出そうと、これまで肥大させて来たエゴから力を抜き、畳んで仕舞うことを始めた人々が現れる一方、それとは逆の動きをしだす人々もいる。
意識や御神体を通して虚空の全母から毎瞬振舞われている、いのちエネルギー。
それをガタピシ言い出したエゴシステムに、少しでも長持ちするようせっせと注ぎ込みその結果、感覚が鈍って益々エゴの世話にならないと居られない状態が出来上がっている。
経済的な困難や、身体的な困難を人生上に作り出してみたり、
そうしたことが自分には起こらない様にと願掛けじみた意図で他に「気の毒な人」や「悪い人」を探して、同情や誹謗中傷に力を注いで気を紛らわしたり、
承認と称賛の区別もつかなくなってどうにか褒められたり好かれたり出来る場を作ろうと藻掻いたり、
そしてその奮闘努力の姿によって、好かれと愛されもごっちゃにしていることが見えて来たり、
取りあえず嗤ってれば嗤われないだろうと繰り出し続けた冷笑で、自身の足元が凍りついて動けなくなったり、
気づいていないことにして救助を待とうと隠れた、慣れ親しんだ場所から出られなくなったり、
人々の感覚が順調に鈍化している。
この「順調」について、ちょっとした誤解が生じる可能性もあるので補足しておくと、
最初は鈍くなるんだけど、
鈍さが極まってどんどん人間社会のあれやこれやが立ち行かなくなり、
そこに気がついて大幅な軌道修正が起きて皆目が覚める
訳ではない。
そうした「結局みんな、どっかでどうにかなるはずで、その救済措置も盛り込んである順調だよね」の希望的観測などどうやって生じるのか見当もつかないが、取りあえずそうした見解を申し上げたことはこれまで一度もないし、今後も申し上げることはない。
「順調」に、目を覚ます人と覚まさない人とが分かれて行っている。
そして、目を覚ましたい人も、目を覚まさない人の中に相当数含まれる。
その「含まれ」も含めて、順調である。
別に今日の物理次元が変調をきたしているのではない。
このプロセスは、受精から出産までの道のりの中に重ねることが出来る。
受精卵は細胞分裂を繰り返しながら、やがて胎児と胎盤を作る組織に分かれる。
元は同じものであり、
進む道が分かれて来る。
それはご承知の様に、親が「あんた胎児として、育って生まれなさい」「あんたは胎盤として、生まれる子を支えなさい」とか、割り振る訳ではない。
誰も、特定の展開になる様に仕向けることも出来ないし、依怙贔屓することも出来ない。
そもそも、児と盤に貴賤などないので贔屓をしようもない。
胎児となるか、胎盤となるかは、各細胞の振舞い方によって変わって来る。
只それだけだ。
ここから観察していると胎児も胎盤も、どちらも変わらず愛おしい。
オギャアと世に出なければ価値がないなどと言うことはない。
胎盤に支えられて胎児は育ち、生まれ来るのだから。
「目覚めなど知るか」とエゴを深める人々も、「目覚めたいのに目覚めない」と七転八倒するだけで最早倒れ転びが目的になっている人々も、それぞれ存分に全うすることだ。
「私を胎児側にするのを頑張って下さい」と言う求めには応えられない。
生まれ来るものを歓びをもって迎え、
生み出しを支えるものを感謝をもって見送る。
それも又、只それだけである。
児も盤も育む天意。
(2020/6/18)