《元の通りに》
「早く元通りになりますように」
非日常に疲れた人々が、こうした願いを抱くこともあるだろう。
しかし、彼らが言っている「元通り」の元は、「普段通り」の普段。
「これまで通り」の、これまで。人が見知って慣れ親しんだ、実際には途中の状態である。
真に元の通りとなるなら、自らが虚空であり同時に、その虚空が生み成した物理次元の一片であると分からずにはいられない。
「それは困る」
「全部分かっちゃったらつまんない」
「どうにか、昨年末位の状態に…」
と言った、エゴ都合による微調整はきかない。
「目覚めそうで目覚めない、でも可能性を失ってはいない僕たち私たち」
としてはしゃぎ回る寸止めパーティーはとっくにお開きで、
「はい、集めて回収します」
と、回答の受け取りが着々と進んでいる。
そんな問いに答えた覚えはないと思おうが、
「自己保身に専念」
「何も起きてないことにする」
「忙しさで掻き消す」
「拘りを手放すのは嫌と抵抗」
等、態度や行動で回答出来ているので大丈夫である。
勿論、
「本気で内側に向き合った」
「この機に愛を表現できた」
「これまで意識が眠っていたことが分かった」
「世界を母性から観察出来るようになった」
と言う、態度や行動も回答されている。
この度「騒動」や「禍」とつけて呼ばれている、ちっちゃなウイルスによる大きなうねりは、真の元に還るプロセスの中で起きている。
「こんなに危なくすることないじゃない!」
とは、おかしな話だ。
それを言うなら、
「ここまでの現われになる程に頑張って
知らぬ存ぜぬを続けて来たのは誰かな」
と、言うこと。
ある意味、力を合わせて作った成果。感謝のない場所には、歓迎されずに成る果実もある。
当宮を建立して数年、「まだ風が穏やかな内に」と度々申し上げて来た。
それに応えて歩み始めた方々は、世間の大きな混乱に翻弄されることなく、この度のこともチャンスとして活かして下さっている。
宮司と連絡を取れる方々からは、そうしたご報告を頂いている。
直接連絡が出来ずとも、当宮にてお伝え申し上げることを真剣に受け取り昇華なさっている方は、このチャンスの意味も、重要性もお分かり下さるだろう。
実際、そうなっている様に感じる。
と言うのも、この所とても
爽やかな気分
に満ちているから。
至福は恒常的であるがこの爽やかさ、しかもこうしたご時世に在っての爽やかさは一体何だろうと初めは少々不思議だったが、
予定調和が崩れたことで見晴らしが良くなり、全一の気がますます通る様になったこと
そして、
覚めようと腹をくくった人々が、それぞれに進化をし始めていること
によって、爽やかさが生まれているのだと気づいた。
感謝申し上げる。
そして、感謝の元に今一度申し上げる。
元には戻る。
本当の元へ。
清々しき、和合の時代。
(2020/4/13)