()りて(そん)する?》

 

秋分を過ぎて、更に身軽になったことを実感している。

 

元々軽かった身体が、一層ひょいひょいと動く様になった。

 

イメージです。

 

存在かつ生ける空間でもある為、普段から“これ”、つまり自他はないが一応自らと認識している存在が新しくなると、周囲の空間についても様々に、どんどん新しくし始める

 

新しさは広がるものなのだ。

 

手近な空間にあるものから片付け、洗い、磨き、既に仕事を終えたものを送り出す。

 

その“どんどん”振り意識は「おぉ…」と、軽く驚きながら観察

 

カミさんである御神体がかいがいしく働く後を、分割意識と言う亭主も腕まくりしてついて行く感じ。

 

 

爽やかな陽気も手伝って、変化を祝う体験が沢山出来た。

 

仕事に満足し、一息つこうと不覚社会のニュースを観察したら、割と世に知られた存在であるへべれけのスサノヲが、バイクで蛇行しながら車に追突し、お縄になった記事がいきなり出て来た。

 

事故に加えて、酒気帯びだったことが大問題だったそう。

 

と言うのも、渦中の人物は以前もアルコールに耽溺して騒動を起こし、世間に対してはその依存から脱する努力中としていたからである。

 

このニュースに対する反応で、酒のを問う意見も目にした。

 

 

酒は嗜む人、商う人、依存する人と、様々にそれを必要とする人にとっては「アリ」なもの。

 

只、嗜まない人、商わない人、依存しない人からすれば、無くても全く困らないもの

 

社会の迷惑をこさえるなら全く以て「ナシ」なものとなる。

 

その辺が、車や海とは違う所だ。

 

 

「車は人間を撥ねる可能性があるから、世の中から車をなくせ」

 

 

と、人は言わない。

 

車が運ぶ物を供給されて、車が生む経済の流れで、自らの生活も回っているからである。

 

 

「人間はエラ呼吸が出来ない為に溺れてしまうので、海とは関わり合いにならないことだ」

 

 

とも、人は言わない。

 

海から受け取れる恩恵が、自らの生活に関わっているからである。

 

不覚の人は、自らの生活に深く関わるもの危険な一面を持っていてもそこは見ない様に出来る

 

とは言え酒もそれなりに不覚社会の経済を回している存在なので、ドラッグみたいに「ダメ!絶対!」と叩き出される訳ではなく、苦虫を噛み潰す様でも、まぁ黙認されるだろう。

 

神にも捧げられてますし。

 

酒の肩を持つ気もないが、依存する人の耽溺振りをおかしなことだと言う時に、依存アイテムについて注目することに意味はない

 

酒がなければ、別のもので、それがなければ又別のもので、同じく耽溺するからだ。

 

 

「酒ありきで、それさえなければ健やかに暮らせた人落とし穴に引っ掛けられた様にそこにハマる

 

のではなく、

 

 

「依存ありきで、丁度来たバスの様に酒が通りかかった、そこに乗り込んでバスジャック

 

と言う流れ。

 

他が通りかかれば、それに乗る。

 

飲酒も嗜む程度の人々にとっては、楽しいバス観光

 

一時、人生の運転を酒が代わってくれて、楽しく明るい気分や、しみじみと味わい深い気分を提供して貰い、いい心持ちになって、頃合いの所で大人しく降りる

 

 

 

それが御神体人質にとってのバスジャックとなると、雰囲気も展開も全く変わって来る。

 

安心感や、満足感、高揚感と言う「身代金」を求めて延々バスを走らせても何処にも着かず、それに傷付き混乱し疲弊し、やがて事故を起こす。

 

当宮にお越しのグッドセンスな皆様は、へべれけは蛇行を生むだけと教えてくれた元何某メンバーに感謝し、酔わず大蛇をもてなすことの難しさと大切さ、その両方を今一度確認なさって頂きたい。

 

 

バスジャック等、一連のビジョンを受け取って、「依りて存する。その根元にあるものとは何だろうか?」と、問いが浮かんだ。

 

存在が、何かに依る。

 

これは明らかに、不自然な傾きである。

 

様々な依存は枝葉。幹から根に向かって行けば、元にはどの依存にも共通する何かがあるはずだ。

 

 

じっと意識を向けて進み、途中で発見したのが3つ

 

 

自らに対する強烈な否定。

 

根源の問いがないままの欲望。

 

それ故の恐怖。

 

自らを強烈に否定したくなる気持ちは、元々意識の奥にあった「自他はないことを分かりたい」と言う問いが歪んで生まれたものだ。

 

問いに真っ直ぐ向き合うことなしに、欲望だけ抱えていたらそれは苦しい

 

 

埋め立てられた問いが疼くし、その疼きに応えて訪れる虚空からのヒントも、訳の分からないまま只、気味の悪い感じとなる。

 

頼んだ荷物の到着に、「心霊現象?」と怯える様なものだ。

 

よくよく聴けば、風に乗って切れ切れに、おどろおどろしくも漂っていた声が

「お届け物ですよ~」

 

 

と言っているのに気がつく。

 

よくよく聴くと言うのは、問いが存在しますよと言う者を「信じる」ことなどではない

 

誰かの言うことを聞いたって、内側から聴いちゃいなけりゃ話にならない。

 

一番割に合いそうな人の言うことを信じようとする者は、信じること依存している。

 

途中の3つから更に奥へと進み、根元にあるものをようやく見つけた。それは、

 

無力感。

 

力が無いと感じているから、外から力を欲しがる

 

無に力など無いと思っているから。

 

全ての力は無から生まれているのに。

 

「はぁ~、そりゃ傾きますわ」と、畏れ入った。

 

依存感覚の鈍麻を強める。

 

鈍さで作ったポーカーフェイスと、素面は似ても似つかない。

 

意一つ、身一つ。

他に何か入用とでも?

(2020/9/24)