《今を括る?》
世間では本日が、日本で起きた大きな地震から丁度10年と言う節目になることで多くニュースが出ている。
この日が誕生日で、あまり明るく喜べないと言う方も居るらしい。
ふと気づいたが、関東大震災のあった9月1日が誕生日で祝い難いと言う話は聞いたことがない。
それはもう、いいのだろうか?
当時の銀座。
1923のことなので、当時を知る人が殆ど誰も居ないからだろうか。
一人一人気が済むまでの期間には差があるだろうから、社会全体で大体どの辺から、感情反応を消化して「気が済む」感じになるのか、本日の不覚社会に流れる雰囲気も十分に味わって、観察して行くことにする。
同時に、3月11日のそれ程注目されていない面も観察することにして、ビックリした。
「パンダ発見の日?!」
あの、白であり同時に黒でもある、
100gかそこらで産まれて育つと100㎏前後にもなる、
ぱっと見はタレ目の様でいて実はツリ目の、
竹を食べるのでお馴染みだが実は肉、虫、果実と何でも食べる、
おっとりしている様で実は獰猛な気質もある、
あのパンダ?
記録を紐解いてみると宣教師であり博物学者でもあったフランス人、アルマン・ダヴィッドが中国を訪れ、地元の猟師が持っていた白黒の毛皮に興味を持った日が1869年の3月11日。
「それじゃ、パンダの毛皮いいな記念日じゃないか」
となった。
生きたパンダと人間が出会ってビックリと言う、「マジでパンダを発見記念日」は更に遡ることになるが、こちらについては誰も、
「何か、あの白で黒の、何あれ!?熊?違うの?!」
みたいな感じでも記す気がなかったのか、はっきりとした日にちは分からなかった。
シロクマやバク等とごっちゃにされて呼ばれたり、神が変身して地上に降りてきた動物であると信じられ神獣として扱われたりしていたそうである。
熊が神様、と言うのはアイヌとも共通する。
パンダは後足で立つと人間とあまり変わらない大きさなので、自分達に通じる化身としてイメージし易かったのかも知れない。
ダヴィッドはこの謎めいた白黒な動物は一体何なのか、パリの国立自然史博物館にジャイアントパンダの骨と皮を送って調査を依頼。
フランスで調査が始まると、やがてヨーロッパ全土で話題になり、パンダをひと目見たい捕まえたい人々が、数多く中国を訪れたと言う。
昭和期の上野動物園でパンダを観る行列と言うのを、映像で鑑賞したことがあるが謎の熱狂に沸いていた。
独特のスター性を持つ生き物である。
多くの捕獲者による乱獲により、発見の日から30年程で絶滅危機に瀕するパンダ。
どうもこっちの記念日もお祝いムードからは遠そうだ。
パンダ達に記念日の概念があったら彼ら的には「人間に見つかってしまった記念日」になるだろうか。
人間がこさえた記念日だから、当然と言えば当然かも知れないがあらゆる記念日は、人間の感情や関心を満足させる目的で設定されている。
そしてどの記念が設定されている日でも、
流れる一瞬一瞬は全て、変わらぬ今である。
ある日ある時を記念する力で、今の今を括りきることは出来ない。
括れるのは、それぞれの腹だけだ。
泣いたり、笑ったり、怒ったり、悲しんだり、様々に思ったり、誓ったり、偲んだり、悔んだり、諦めたり、祈ったり。
どんなことでも記念に対してする自由はある。
同時に、どの記念も関係なしに、今この瞬間に感謝し祝福する自由もあるのだ。
今、と言う歓び。
(2021/3/11)