《乾杯》

 

昨春から、限られた方々については直接お目にかかって、進化変容のお手伝いをする機会を頂戴している。

先日、その中のお一人から、結ぶ魂の“結魂”実感されたとご報告を受けた。
 
当宮の建立前に作ってお配りした冊子の中で、長渕剛の『乾杯』と言う曲について書いた部分を再読されて、その内容が腑に落ちたことも、結魂実感する呼び水となられた様である。
 
“かたい絆に 想いをよせて
 語り尽くせぬ 青春の日々”


その冊子を作ったのは2016。
セットで海援隊の『贈る言葉』についても書いてある。

読み返したら、意識の奥底まで沁み渡るものがあった。

当宮を建立する前の冊子や、年一の祭にてお受け取り頂く冊子の内容をここで公開する気はこれまでなく、広まる必要があるなら、勝手に広まりゃいいじゃないと風に任せていた。

大体、新規の記事だってヒョイヒョイ出て来るし、お詫びを書く程長くなったりする。

 


前に書いた記事の出る幕はない状態。


それに、あの冊子は縁あって受け取られた方々のものであると認識していた。

コピーする等どうお使いになられても結構、ご自由にと申し上げてある。

だが、そう言えば宮司自身も「情報をご自由にしていいメンバー」中に入っていた。

重要なものばかりなので機会があれば凡神宮アーカイブとでもして、ご覧頂ける様にするかも知れない。


結魂についてご報告を下さった方は、再読されたと言うその冊子を、初めに作ってお渡しした皆様の中にはおられななかった

 

人づてに情報を受け取られたそうで、2016当時は冊子のことも宮司のこともほぼご存じなかったはずである。

それが2019の今、ここまで大きく変わられている。

内なる探求を続けても続けても変わらず、一体どこまでかかるのかとお思いの方々に申し上げる。

 


これまでの歩みと、
これからの歩み、
同じ速度と言う
保証がどこにある。

今歩まれている次のコーナーを曲がったら、思わぬ景色が開けるかも知れない。


そこに、宮司の様な伴走者が居るかも知れない。

別に宮司を名乗る“これ”である必要はない

お一人ごとにコースが違う進化の道に寄り添い、難所悪路もひたすら入って行き、意識の奥まで掘り進めて、埋もれた誤解を共に解く

そんな存在に皆様が巡り合えた時、お目にかかることがなくとも、こちらもとても嬉しい

何でか知らんが、妙に嬉しい。


そうした時は、素敵な巡り合いが起きているのだろうと、了解し頷くことにする。

初めは「ぼんやりと何となく感じるものはある」位だったとしても、意識が進化するにつれてハッキリと「!」となる瞬間がやって来る。

他の方からも、一年前に言われたことが今分かり始めているとご報告を頂いた。

昨春から一年あまり。


お一人ごとに歩みは違うが、逞しくなられ大きく羽ばたかれる方々も居られる。


「こ~りゃ見えて来たんじゃないの~、引退!」


と、思わず気分良く膝を叩いた。

 

しかし、たらればの話なんぞして集中力を削いどる場合ではない

 

普段は軽いノリでふざけているのが大体の存在だが、この度は改まって姿勢を正した。

確かな手応えに感謝し、伴走者として、より一層の精進をして行くことを決めている。

 

ありがたき春の報せ。

(2019/3/28)

《3月のふろく 花盛りの一杯》

 

春の花を添えて、祝い盃をこしらえてみました。

 

 
結魂はまだと言う方は、その瞬間が訪れた時に、分割意識と御神体とで分かち合う盃の中身をイメージして塗り入れて下さい。

金色でも、銀色でも、虹色でも、パステルカラーでも。

訪れる結魂を祝って振る舞いたいと、今の今お感じになるものをお願い致します。

ご結魂を実感されている方は、愛と感謝を込めて、今この瞬間振る舞いたいとお感じになる中身を、色彩で表現なさって下さい。

人生ドラマや自分に酔うことを卒業すると、酒は只の「幸・気」となります。

幸の気を、それも観ることで頂く盃ですので、どう召し上がられても酔いません。

下戸の方も未成年の方も、お気軽にお楽しみ下さい。