《乱を和する》
国を挙げての、「ちょっくら経済回すのに旅行なぞして欲しい」キャンペーンに、当初省かれた東京も秋から含まれるそうで、そうすると自他の線引きによる騒ぎはこれからが本調子。
経済が昨年までの様な回り方をしていないことで、あちこちで軋みが大きくなり始めているので、その不調を整えることを優先しようと言う人々の気持ちが強まっている。
一方で、乾燥した寒い季節にウイルスがどの様に広まるのか予想出来ないと言うことで、そちらを優先して気をつけたいと言う人々の気持ちも強まっている。
強まった気持ちと気持ちがぶつかり、絡まり合う。
絡んで暴走する混乱に対し、まるでヤマタノオロチの様だなぁと浮かび、ふと気がついた。
ヤマタの八は、一が八つある訳ではなく、「数限りなく」の表現。
混乱は、これから無数に分化する。
そしてこの繁りに茂った混乱が、未練なく全て削ぎ落とされた時、大蛇の尾の中から天叢雲剣が出て来た様に、渾沌の中から輝ける変容への意志が誕生する。
とてもシンプルで順調な運びである。
地域を問わず登場する、ヤマタ的存在。
繁茂する混乱と同調し一体化して騒ぐだけなら、大変辛い展開も出て来るだろう。
社会全体でのこうした流れは、そのまま人型生命体それぞれの内に起こることに重なる。
一人一人、中に巣食ったエゴが根深い程、これから混乱が大きく膨らんで暴走を始める。
膨れ上がり暴れ出したものを、どう昇華して行くのか。
スサノヲのやり方にそのヒントを見ることが出来る。
スサノヲは、相手をそのまま痛めつけ叩き伏せているのではない。
まず、酒と言う相手の好物を振舞う。
これは、エゴを否定して攻撃するのではなく、エゴの意も十分に汲んだ上でそれを冷静に観察することの必要性を表している。
エゴは至福が分からない。
だから陶酔や恍惚、興奮でそれを埋めようとする。
神話の中では奇稲田姫と言うお姫様のかたちで示される御神体まで酔って酒の肴にし、喰らって滅する勢い。
そこでスサノヲがお姫様(御神体)を差し出すのではなく、かと言って正面切ってやっつけようとするのでもなく、まずはエゴが動けなくなる位の酒を振舞うと言うのは、見事なものだと感心した。
否定や拒絶からは何も生まれない。
混乱を和するには、断罪し正義に染め上げるのではなく、包容し溶かすことが求められる。
内に騒ぐものを、まずはのびのびさせて、その上で刈り取る。
それを完遂するにはエゴと同調せずに、意識はあくまでも酔わないことが不可欠となる。
スサノヲが一緒になってへべれけでは、天の叢雲を晴らす剣はずっと大蛇の体内に収まったままとなる。
先程申し上げたワーワー騒ぎ、不覚社会の騒乱が増す中で、人間が「本音」と呼んでいる、「生存欲求と不安、恐怖から出る悲鳴」が、大きく激しくなって来る。
それに合わせて自身の内側から聴こえて来る混乱に、「まだこんなものが残っていたのか」「こんなものが隠れていたのか」と驚く方も、おられるだろう。
自他はないので、何か知らん大蛇を他からお裾分けされることもある。
その時も、のびて来た大蛇の頭が「一体どんなものか」「何を欲しがっているのか」を観察してみられること。
そして、静かになって首を切らせてくれる様になるまで意を汲み、受け入れてみられること。
そのまま受け入れて全体に溶かすのが、もっともシンプルかつ早いことは変わらない。
けれど、溶かし方が分からない、許せないものが出て来るとどうしても戦ってしまう、見たくないものは無いことにしたくなる方は、エゴの意を汲む過程が必要。
結構、ギリギリのご提案。
素直に溶かすことがお出来になる方は、なさらずとも全く結構なものである。
自らは酔わず、
エゴを否定せずに、
それを行う。
楽ではないが、即溶かすより実感し易いものになる。
酔わず満たして、進み行く秋。
(2020/9/21)