(まる)(いと)しむ》

 

 

半年くらい前だろうか、透明な地球のビジョンを度々受け取る様になった時期に、それに似た地球儀があれば買おうと探しに出かけたことがある。

 

反対側が透けて見えて、陸地にはそれぞれ色が付いているのが欲しい。

 

地球儀が並ぶ売り場に行き、これこれこう言うものと説明したら、要望に沿うものはこれ位しかと答えながら棚からフワッとおろして来た。

 

 

「ビーチボールじゃないか!」

 

 

固い地球儀を買うつもりでいたのでビックリしたが、「これだけ」と言うのはつまり「これが要る」ってことなんだろうと了解し、買って帰った。

 

膨らましてみると、軽いし柔らかいし簡単にクルクル回せる。

 

 

人が区切った、国土の境目を指でなぞる。

 

色んな角度から、色んな国を眺める。

 

 

透明な海に浮かぶ陸地の、裏からの眺めは殊に面白く、ブエノスアイレスの辺りから左右反転の日本を眺めて

 

「確かにこの辺から見たら“遠く離れた向こう側”って認識になるかもなぁ」

 

と、人が抱える自他の感覚を支える、「距離」と「境界」について意識を巡らせたりもした。

  

紛争や気候変動。人々の不安から、「地球」には何かと深刻なイメージがついて回る。

 

 

しかし手の中で自在に回せるこの柔らかな地球は、変に空気を重くしたりもせず楽しい時間を過ごさせてくれた。

 

気安いものにしか、出来ないこともある。

 

適当な場所に飾り、気が向くと持ち出してクルクル回したり押して手触りを楽しんだり、興味の湧いた地域を眺めたりしている。

 

先日、母性について意識を向けて「母性の開花、母性の発現…」と呟き腕組みしながら行ったり来たりしていて、不意にその柔らか地球に手が伸びた。

 

 

自然に、そして不意に出る動きは、何かを教えてくれる。

 

黙って、その動きに意識を集中した。

 

地球を抱きかかえて、行ったり来たりを再開。そして、柔らかい表面を手でごく軽く、トントンと触れることを繰り返す。

 

腕の中で眠る子に親がする動き。

 

同時に卵を抱えている感覚も起きる。

 

 

殻を破って出て来るまで、トントン、トントン。

 

ああ、これも進化変容を促す“ヒッヒッフー”の一種かと気がついた。

 

変化に寄り添って、ここに居ると伝えて、出来ることをする。

 

 

それまで全体性を知る仲間、楽しい遊び相手だった柔らか地球が、この時は生まれ来る愛し子になっていた。

 

 

ここに居ると伝えて、顔を地球に密着させた。

 

顔を上げて、鼻を押し付けていた辺りを見たら丁度パキスタンとアフガニスタンの国境だった。

 

勿論、この地域だけが重要と言うこともない。

 

あらゆる場所が、総て、全体の一部であり、そこに優劣や軽重はない。

 

大事に抱え直した地球をそっと揺らしてゆっくりゆっくり歩きながら、「うれしいのか・かなしいのか」説明のつかない感覚が訪れ、それは

 

何だって出来る

 

の、意志に変わった。

 

同時に、内側から途轍もない力溢れて来るのを感じた。

 

ああ、これだこれが全母だと改めて実感し、納得した。

 

全体を抱き愛しむ時、

 

全体から愛しまれる。

 

 

無論、地球イコール全体ではない。

 

物理次元に存在する一惑星と見なすことも出来る。

 

しかし、この丸い一つを何処にも偏らずに愛しむことが出来る時、不覚からへの変化全容観察することが出来る。

 

部分を見るだけでは、絶対に分からないことがある。

 

知りたい、分かりたいと真剣に意志する時、機会は必ずもたらされると申し上げておく。

 

 丸まま愛しむ母の力。

(2020/9/10)