《世代船》
「親の血をひく兄弟よりも~、ん?」
上から降って来たキーワードに返して、放ってみた歌の詞に何だか違和感があった。
調べたら、
「いっけね、これ『兄弟船』じゃなく『兄弟仁義』じゃん」
義兄弟だし乗船もしてなかった。
「でも何か似てるんだよなぁ」と、二曲を調べたら同じ作詞家だった。似ている訳である。
上から振られたワードは表題にある「世代船」なので、
世代船≠兄弟船≠兄弟仁義
どうにも奇妙なジグザク走行となったが、親父のかたみの船でおふくろに楽をさせたい兄弟船と違い、世代船はもっと大きく、乗員達は何となくの親近感で結ばれている。
コロナ騒動を始め、これからどうすんのと課題が山積み状態で日々圧迫される感じに汲汲としている不覚社会。
身体安全第一航路と、経済発展第一航路の、一体どちらが生活安全第一航路なのか。
それについて異なる意見を持つ、異なる世代船同士が互いに進路妨害を主張して、威嚇射撃のドンパチをやらかすのが盛り上がっていたのが2020。
身体安全第一航路を建前にした利権享受第一航路と、経済発展第一航路でのぶつかり合いとも言える。
オリンピック岬を通るの通らないので揉めたり、やれ燃料が漏れたとか、座礁したとか、遭難信号だとか、どの船も忙しそうである。
小競り合いは2020に堪能したのだから、いい加減うんざりして
「どの世代にもワカランチンは居る」
「世代で括っても意味ないどころか基本誤解しか生まない」
船酔いするし。
と言う実にシンプルな事実を、認める者が出て来て不思議ない時期である。
が、うんざりの着地点が「いい加減にしろあの○○船!」と言う、じり貧ルートを進む姿も見受けられる。
これも二極化の流れによるものだろうかと観察している。
変容の時代にはこれまで何となく意識に影響をもたらしていた性別の枠を超え、人種の枠を超え、世代の枠を超える必要がある。
この三つの枠を超えると、国家の枠や地域の枠などは、自然と何ほどのものでもないことが分かって来る。
その位、三つの枠は意識に影を落とし、視界を不明瞭にしている。
世代の枠は、最も超え易いものかも知れない。
白い肌を剥いで全て黒い肌を移植してもDNAは変わらないし、手術で外観を変えても投薬しても「あらよっ」と丸ごと異性に変わったりもしない。
人種や性別の枠に比べて世代の枠は、実際「団塊」とか「就職氷河期」とか「さとり」とかどんなラベリングがあっても、アウトラインがぼやけている。
別の世代に乗り換えることは出来ないが、世代がどうとか関係ないなと意識が枠の不必要を腑に落とすにあたり、最も抵抗が少ない様に感じる。
そう言えば、さとり世代と言うのもさっぱり聞かなくなった。
世代で覚れたら世話はない、と言うことだろうか。
寄らば大樹の陰とか言うが、ビッグサイズの団塊世代船なら他に比べて安全と言うこともない。
目立つのでその船尾にくっついて商売や略奪をしようと目論む連中も居て騒がしいし、日々船体の老朽化も進む。
「俺達の時代は良かったなぁ」と乗員がほんのりした優越感や一体感で団子状態になっているので、ここから下船するのは一苦労かも知れない。
多様性が重要であると言われ出してからの世代は、当人が不安がって世代船に潜り込んで柱にしがみつきでもしなければ、世代側から連帯を求めて来ることは少ないのでその辺りは楽である。
当たり前だが世代船には、その世代全員が乗船している訳ではない。
世代船に乗ることで得られた気になる、恩恵や安心を必要としない人も居るのだ。
彼らは、社会を世代で切り分けない。
そして人と交流する範囲も世代の枠に影響されない。
そうした生き方は、新しき世には欠かせないものである。
船に依らず、生きる意志。
(2021/4/8)