《世は満足》
覚醒や進化変容についてや、それ以外についても、「○○ってどうなんでしょう」と、お目にかかる方々から時折尋ねられることがある。
只シンプルに「あれって一体何?」と問われる方々が居る一方で、中には
「○○はアリと言って頂きたい」
もしくは、
「○○ってナイわ~を確認したい」
の思いを問いの中に含ませる方もおられる。
問われた○○については、素晴らしいと感じればその様に、どうにも変だと感じればその様に、只お答えする。
答えながら、「何故、アリやナシやの仕分けを含ませつつ問うのか?」と言う問いが浮かんだ。
その時にパッチワーク・キルトのビジョンが到来。
「成る程!」と腑に落ちた。
スピリチュアルな知識や情報を集める中で
「これは特に好き」
「気に入っている」
「流行っている」
「自分の思いに沿っている」
等の、教えの断片が選ばれる。
それらを縫い合わせてパッチワーク状にして、「スピリチュアルな道を行く自ら」の覆いや飾りとする人々が居る。
知識や情報を分け合うのは
「あら、その柄オシャレね」
「あなたの方はその色素敵ね」
「最近発売されたあの布知ってる?」
と手製のキルトを見せ合うのと似た嬉しさがあるのだ。
神仏や精霊、龍、宇宙人、天使、聖人、そう言った柄は派手なので人気がある。
心が癒されるとか夢が叶う等の自己実現系もほんわかあったかい色でまあまあ人気がある。
無や0も、すっきりとした無地の布として、多少の人気がある。
実際、無は無だし、0も0で、そこにはギリギリ真っ白なだけの布、もしくは布すらない真っ黒な穴があるだけで、パッチワークの楽しさを台なしにする様な味気無さ。
無を無として中立に受け入れ
「だって、穴じゃん!わっ、無でキルト出来ない!」
と、ビックリな気づきを起こす正直者は、少ない。
だがこの無にしか、真の安らぎも納得もない。
それは誰のスピリチュアル・キルトも、完成する日は来ないことからも明らかだ。
「マジの無って、ホント人気ないな~」
と感じながら周囲を見渡して、沢山のものが、そして自らと認識している“これ”も、皆変わらず無から発生していることを実感。自然に、
「世は満足じゃ」
と、なった。
お殿様とかであれば「余は満足じゃ」なのだが、“これ”は支配者ではなく生ける空間であり、ありてある世界の一片なので「世は」で合っている。
世界は常にそれ自体で満ち足りている。
どんな素敵な布でも覆いきれないし、その必要もないのである。
至極満足、新世界。
(2019/6/17)