《ないを返せば》
「ワーオ、全く暇にならないな。」
お久しぶり!
沈黙の行により当宮記事を三回お休みさせて頂く間、書き物や調べ物、新しい試み等がどさっと増えた。
「まぁ、そりゃそうか」と納得。
上は何も宮司に夏休みを用意した訳ではない。
ひょんなことからこれまで関わって来なかった分野についての調査も開始し、大変充実した期間となった。
その体験を踏まえて、申し上げられることがある。
昨今、「この状況なのでこれまで通りに出来なくなった」と言う話をニュースでも目にするし人づてにも聞く。
それら諸々の「出来ない」をシンプルにすると大体以下の3つになる。
遠出が出来ない。
集会が出来ない。
密着が出来ない。
この“3ない”で、行動が制限されて、経済も回りにくくなり、気持ちも塞がれた様になっていると言う。
ちょっと乱暴な物言いになるかも分からないが、
出来ないと言うことが必要だから、
今、出来なくなっているのだ。
そして他の角度から見てみれば、
この状況だからこそ
出来ることがある。
と言うこと。
“出来ること”は人によって様々。
これをおやんなさいよと示したお勧めリストを、作ったり貰ったりすることは出来ない。
又、ご自身で“出来ること”を発見する体験も重要なのだ。
人によって様々だが、共通するのは
「それをして起きた気づきや学びや体験の歓びを、愛として全体に捧げられること」
である。
「周囲に反対されたり自らで無理だろうと諦めていたが、本当はずっとやってみたかったこと」
や、
「いずれするだろうと言う気はしていたが、理由をつけてはずっと遠ざけて来たこと」
辺りにヒントがある。
とは言え、「エゴがやってみたかったこと」や「エゴがせんならんだろうなぁと感じて来たこと」ではないので、その辺りの見極めは必要。
この状況だからこそ出来ることが見つかり、「ああこれだ」と腑に落ちた方々はそこに全力投球をお願いする。
日、一日、時は巡り同じ日は来ない。
なので見つかったら即、行動なさること。
事態が収束し始めたりしたら、不覚社会は経済や心に「空いた穴」を塞ぐことに執心し、それが叶うにしたがって喉元過ぎれば熱さを忘れる感じで、時たま「残る爪痕」についての苦情を言いながら、ゆるゆると普段通りの暮らしに戻って行くだろう。
その時に、どうにかこうにか傷を癒したとしてかつてに似た通常運転に戻る者と、成長を遂げて新しい日常を開く者とでは、見える世界、起こることは全く変わって来る。
ここをどう過ごすかで、これからに物凄い差が出て来るのだ。
ないを返せば、あるが出る。
(2020/8/3)