《それでも今を》
祭を終えた翌日。
以前から行く必要を示されていた場所を訪ねた。
宮司を名乗るこの端末は、時折こうした“観光”に出掛ける。
光を観る、本来はどこもかしこも光の点滅なのだが、そうして示されて行く場所はそこの光らしさをとんと忘れられている場所、特定のイメージが色濃く残っている場所である。
先日、関東を中心に広範囲にわたって起きたのは、自然による不覚にとって受け入れるのが難しい出来事。
そこから遡ること数ヶ月。
「広範囲」と逆になる、大変ピンポイントな箇所で起きた、人間による不覚にとって受け入れるのが難しい出来事があった。
一人が放った憎しみの炎が、数十人を焼くに至ったその火事は、今尚様々な場所で尾を引き続けている。
目に見える炎が消された後でも、内側に飛び火した憎しみは、風化に晒されつつもくすぶることを止めない。
そうして、あちこちに拡がって行く。
とは言え、飛んでった火を追っかけ回して消すことはこちらの仕事ではない。
そもそもそんなことなど誰にも出来はしないし、出来たとしてもするつもりはない。
憎しみの炎と向き合うことも、当人の大切な宿題だからだ。
その炎を消すのは一人一人の中心にある、天意の湧出点である。
上から宮司が示されたのは、その土地を思いかべる人々の意識が概ね「あの時」に縛り付けられ、イメージが固定されている現場に行き、実際の「今の今」を観察し、味わい、そこに光を観ること。
着いてみるとそこは静かな住宅街の一角で、近隣に並ぶ家々の表には張り紙がしてあった。
歩きながらざっと見ただけであるが、「起きたことには哀悼の意を表するが、こちらにも生活があるのでそっとしておいて欲しい」と言う感じの、取材の目的で来る人々への「訪問お断り」を意味する内容だった。
ここには確かに今の今、生きている人の暮らしがある。
別の場所から来て、悲しみを表現し、又、それぞれの居場所に帰っていく人にとっては、それは自身の善意を発揮することかも知れない。
だが、そこで暮らす人びとにしたら、生活の場所が涙の集積地となる。
天の雨が溢れることを被災と呼ぶのなら、人の雨が溢れることだって同じじゃないだろうか。
静かだがビリビリと「触れるな」の気配が満ちる家々の前を通り抜けて奥へ入り、黄色い建物の前に到着した。
勝手に人が入るのを防ぐ為にだろうか、白い板状の金属で低い所は囲われていたが、後は驚く程そのまんまだった。
完全に場が「あの時」で固まっている。
これは、きついだろうなと納得した。
横にある駐車スペースを見たら地元の人が居り、近づくと最初はあからさまに警戒の色と飽き飽きだと言う気配を感じた。
そりゃそうである、住民でもなさそうな奴がウロウロしていたらその目的物は恐らく一つだからだ。
取材か、思い入れのあるファンか、物見高い暇人か。
どれにしたって、厄介な話でしかない。
そこで突然、そう言えば辿り着く前にウロウロし過ぎて、帰る方向が良く分からなくなっていたことを思い出した。
近くにある寺を訪ねた後だったのでそのことと、駅に帰る方向を尋ねたら、親切に教えてくれた。
どれも嘘ではなかったので真っ直ぐ通り、受け入れられたのだろう。
その説明を聞いていたら、今度は急激に腹が減って来た。
あんまりすいたので腹を満たしてから帰るとその人々に言ったら、思いもかけない馬鹿馬鹿しいセリフだったからか、浮かんだそのままを口にしたからか、ちょっと笑われた。
その瞬間に、「これをしにここに来たのか」と理解した。
成程ね!
その土地の者でない端末がやって来て、しょうもない話をして、土地の人と笑い合い、軽い感じで去って行く。
ここ数ヶ月で、恐らく無かったことだからである。
この「新しい動き」で、何がどう変わるかは分からない。
だが、悲しい気配に合わせた動きしかしない場所と言う制限は、外れた。
人々に礼を言い、こんな動きをすることを受け入れてくれた黄色いビルに心底からの感謝を込めて目礼し、その場を後にした。
この住宅街には、元気よく自転車を走らせる少年達が居た。
駅前の公園にはキャッチボールをする親子や、ブランコに乗る少女達も居た。
出会ったのはごく一部でも、多くの人々が生活していることを感じ、その丸ごとに光を観て、帰って来た。
様々なことが起き、人は様々なことを感じる。
けれども感じることを昇華し、起きることを昇華して、今を生きる時、人は真に生きている。
それでも今を、生きるのだ。
(2019/10/18)