《うそかまことか》
「月曜発表、じゃないですか。
あれ1回出してから
「嘘です」
ってやったら、
怒るでしょうねぇ~」
「そりゃ怒るよ、大変なことになるよ!」
本日発表の新しい元号について、先週そんな会話をした。
元号>エイプリルフール
国や宗教を超えて、多種多様な行事が大らかに、節操なく、呑気に楽しまれるこの国。
普段真面目に暮らしている人であっても、この日に限ってはちょっとした嘘で場を和ませてもご愛敬となることから、エイプリルフールは結構楽しまれて来た行事ではないだろうか。
そこに珍しく「嘘が歓迎されない4月1日」が到来。
他の嘘も、ついたとして今日は
「ごめん、今それどころじゃないから!」
の新元号お祝い騒ぎなので、大して盛り上がらないだろう。
「嘘」と言う字を眺めていて、ああそうだっけと前に気づいたことをふと思い出した。
当宮左側に載せる様な情報をちょいと借りて来る感じになるが、嘘の字のかたちは「虚しいことを口にする」姿を表すのではない。
本来虚空は中心、「腹」に在る。
「腹の底から放つ虚空の力を、口先で操って出そうとする」、その不自然さを嘘の字は示している。
うそかまことかの、「まこと」は「実」と書く。
無理が通れば道理引っ込む。
嘘に溺れれば、気と実の世界の循環は歪んで、真っ当な実現、実と言う「まこと」が登場しなくなる。
「ご注意:素直な繁栄がさっぱり進みませんが、それでもよろしければ自由意志で、おつき下さい。」
嘘にはそんな注意書きはないので、エイプリルフールでなくても不覚社会は毎日あれこれ嘘をつく。
それと同時に「嘘をつかれていないか」を気にする。
目覚めや悟りに関しても「この人物の言っていることは果たして本当だろうか?」と言うのは、大いに気にかかる点なのではないだろうか。
「本当かどうか」「信頼できるか」「こっちとあっちとじゃどちらがまともそうか」
そうした問いを解消する為に山程の証拠を集めても、満足する答えは出ない。
必要なのは証拠ではない。
うそかまことかの答えは、自らの内側に問いかけて受け取ること。
問いかけの際に、先に済ませておくことがある。
既に欲しい答えがありはしないか。
欲しい展開がありはしないか。
それらを自らの内に問うて確認すること。
特定の欲しい答えがない状態となって初めて、相手の言っていることが「うそかまことか」が感じ取れる様になる。
その真っ直ぐな感覚には、どんなに周到に練られた嘘も太刀打ちできない。
まことにかなう、うそはなし。
(2019/4/1)