《あかあかと》
当宮記事とは別に、渾身の働きを捧げて準備を続けて来た祭が、爽やかに行われ充実と共に幕を閉じた。
ご参加頂いた方々にこの場を借りて、心底より御礼申し上げる。
平生から二日に一遍何らかの締切がやって来る暮らしをしているが、こうして年に一度の、上や虚空との約束を果たした祭の翌日は例年、最も求めの少ない静かな日。
のはずが、何故朝っぱらからアル・カポネについて調べているのか。
これまで調べて来た題材とも特に関係がなく、全く新しい流れである。
とりあえず分かったことと言えば、どの様な人物にもその者なりの「良かれ」があり、それについての「言い分」があると言うこと。
言い分ある良かれが、他から奪ったものを自に集めると言う変な動きになるポイントは、自他を分かつ溝がどれだけ深いかによると言うこと。
無法者にも法があるのかと興味深く眺めたが、彼らなりの業界ルールに従っており、無法地帯の様に見える界隈にも法がない訳ではないと気づいた。
そしてごく一部を優遇するルールを適用する者程、
何かしらの美学をかざしがちである。
当宮用の情報かどうか未だ不明だが、機会があれば記事として書かせて頂くことにする。
こんな感じで情報の流れは次にどこへ向かうか分からないし、求めに応じて調べるだけでこちらは選り好みも制限もしない。
そしてそれが面白くもある。
世の流れを観察していると、身体的健康や経済的健康は明日をも知れないものと言う雰囲気にどんどん変わり、そのことに疲弊し恐怖している人々は多い。
大体上がって下がってがどの程度のものか、感じ取れていた頃とは訳が違う。
長い不況と呼ばれる時期を抜けて
「いや~今回の下りは大きかったなぁ、でも上り調子に入って来たし、
何かここしばらくは明るいんじゃないかな。だといいなぁ」
と人々が又、“お約束”のダウンからのアップ途中にある気分で居た所に、突然のコース変化。
しかも、下限が分からない。
そして、安全圏もない。
社会の流れを利用して経済的な拡大を果たしても、様々な“安全保障”についてどれ程優遇されようとも、身体的な安全が完璧に保証される人物は居ない。
持病や感染を、お金を渡して誰かに引き受けて貰うことは、何処の誰にも出来ないのだ。
エゴを抱える限り、不安から逃れられる者も居ない。
せめて逃れた気になって少しでも心安らかにする為に、何かと「支配操作」することを求める欲が増え、それを狙った行動が増える。
時期的に寒さ暗さも増すので、変化の波が加速する一方で、エゴの暴動も拡大する。
鉢合わせやごった返しの増える世の中でそれらに捉われず、内側にあかあかと意志の火を点し、普く照らす意識で行動し日々を生きることが必要となる。
騒音の渦巻く中で静寂であることの様に、決して容易くはないがその分実行すれば大きな成長を促す。
そんなことより、少しでも安心させてくれ、励ましてくれ、恩恵をくれ。
尽きぬくれくれを外へ向ける者と、内から外へ輝かす者とでは目の当たりにするものは全く違ってくる。
自他はなくとも、道は分かれるのだ。
それが物理次元の面白さである。
明々と。晴々と。
(2020/12/14)