~ご連絡~
“March winds and April showers bring May flowers.”「三月の風と四月の雨が五月の花をもたらす」という諺の通り、地上に美しい花が咲く一方で、細かく砕いて水に流した雑データが天(虚空)に回収されるのが5月なので例年、霊的にはかなりごった返す季節です。
ちなみにチャネルを無自覚に開きっぱなしの上に不安をもって検索していると、搬送中のガラクタフィーリングがそこに落っこちて届くことになります。これが5月病です。
今回の情報は皆様に必要というよりも、周りの端末からのイチャモンに揺らがない為にご活用頂ければと、お伝えする事にしました。
宮司にはあまり興味の起こらないジャンルですが、センスの良い方々の足止めをする絡みつきは、こうして焼き払うまでです。
では記事へ。
《鬱とは何か》
鬱積、抑鬱、鬱憤、憂鬱。
こうした言葉から、鬱は積まれたり、抑えられたり、憤られたり、憂えられたりするものだということが分かる。
鬱とは、エネルギーの密集である。
密集したエネルギーは流れることなく固定化する。
固定したエネルギーが積まれたり、抑えられたり、溜まって憤られたり憂えられたりしている。
鬱になるとやる気が起きなくなり(気が塞ぎ)、自暴自棄になる。
と、通常は思われている。
だが、本来活気に満ち、決してとどまることなく常に動き続け、自らを愛しきっているのが物理次元であり、その本性ではない固定化する動きに実は
膨大なエネルギーを使う。
弱っていて動かないのではなく、全力で流れに逆らって、
動かないをやっている。
だから疲れ果てているのは当たり前。
天空を背負うアトラス並みの重労働なのである。
背負うのに耐えかねて肩の荷を降ろして発生するのが躁状態だが、又すぐに背負い直す。
なんで又そんなもの背負うのか。
理由は端末ごとに様々だが、鬱極まって古い天空(=上だと思い込んできた部分)をヤーッと放り出し
「俺ごと全部が世界だったわ!」
と思い出す為の、「かかる必要のある圧」にしている場合もあるし、変容が怖くて
「いや、すいません。今両手塞がってまして。」
という言い訳に使用する場合もある。
鬱病そのものはエネルギー固定化プログラムであり、善でも悪でもない。
単に不自然なだけである。
「不自然からの~、自然!!」コースは結構王道だと思うのだが、あの界隈からもそれほど覚者が出ない様子を見てると、
全体愛がなければ知恵でも金でも病でも達しない
のが、悟りらしい。
留まる方が疲れる。
(2016/5/16)