《限定解除》
地域限定、数量限定、期間限定、限定特価。
不覚社会は何につけ、限って定めることが大好きだ。
「身内」と「余所者」を分ければ、安全圏と外野が作れる。
悠久の時の流れを数字で限定することで、「ここで動かなきゃ!」と奮起するアクセントにすることも出来る。
こうして、「限定」と言う要素をとても上手に使って来た。
限定そのものは只の印付けで、特に良くも悪くもない。
面白いもので、全一の流れに乗ってではなく「我だけ特に得せよ」と言うコンセプトで限定を用いると、覿面に意識の集中が限定的になる。
そして、その結果として感覚が鈍麻する。
この流れ一つとっても、「全体は一つである」ことに、繊細な感覚が開かれた方はお気づきになるのではないだろうか。
そんな“我限定”を支える旧い秩序が壊れ始め、日々、未知の息吹が新世界を満たしている。
それに応じて不安が増し、不覚社会では躍起になって連帯を求めている。
近年の不覚社会で盛んに言われる「つながり」とは表層の連帯のことで、中心の虚空まで意識が到達していない、浅瀬でチャプチャプやってる状態。
化粧された優しさ温かさ正しさ等を全部剥いでみれば、残るのは大抵、「不覚契約の連帯保証人作り」の様な動きだ。
安心な様に。有利な様に。優位な様に。生き残れる様に。
「つながってる」と「つながってない」に線引きをして限定する動き。
情け深い「気配り目配り心配り」も、限定した対象だけへの特別待遇なら、領海内に巡視船を派遣する動きと変わらない。
当然に、それは愛ではない。
だから続ければ、分割意識も御神体も著しく疲弊する。
傍に居る者に、愛を送るなとは言わない。
傍に居る者を通して、全体に愛を捧げれば良い。
「我らだけ」と言う限定を解除すれば、それは自然と成される。
あらゆる対象は、それを通じて全体に波及させる為の目印なのだ。
その一点から「全体」に向ける意志を以て、表われた「部分」に愛を注がれること。
そうすれば、これから外側のどんな不覚限定が解除されようとも、支えを失って崩れたりはしない。
勿論、そうしたい者を止めはしないし、それもそれぞれの道ではあるが、意識の限定解除を進めると、中心軸が定まり、逆に崩れるのが難しくなる。
難しいと言うか、無理だ。
全体一つとして毎瞬入滅&復活再生している存在が、「つながった」「個別の状態で」「破滅する」ことは出来ないし、その必要もない。
愛は無限であり、無限に帰する時、当たり前に、あらゆる限定は既に解けている。
大事なのが、
解除≠排除
であること。
追っ払うのではない。
解ければ、溶ける。
雪が解ける様に、制限はそこから旅立って行く。
そして自由が広がって行く。
解ければ自然と除かれる。
(2018/3/29)
《3月のふろく・凡不守》
一昔前に流行ったおにぎらず的発想でこしらえた『お守らず』。
守ることがいけない訳ではない。
だが、大切な人・約束・規則・地球環境etc「守らねばならない」「守るよね普通」「守ってなんぼ」「守り守られ」をグイグイ推すと、同時に
「あ〜!破りたい!!!」が発生する。
全一の「守るポイント」に限って指を押し込むと、反対側の「破るポイント」が飛び出て来るのは仕方ない。
「守るのもアリだし、守らないのもアリ」として、お守りとお守らずを両方採用すると、守から自由になる。
使い方は簡単。
プリントしたものを切り抜いて、左右がそれぞれ表と裏になる様に、半分に折る。
折った内部をのり付けして出来上がり。
超薄型お守らずの為、そのまま本に挟んで栞として使える。
手帳にも挟めるし、色んな場所に気軽に納まる省スペース存在。
お守らずが守んない理由は勿論、「大切じゃないから」ではない。
全一である存在を守る必要がないから。
なので裏っかわには『全一認定』のメッセージが入っている。
否定でも肯定でもなく、認定。
そして全体一つとして天意からの愛を送っている。
ちっちゃくて軽い、吹けばまず飛ぶ凡不守から、「認めて守らない“あたたかさ”」を感じてみて頂ければ幸いである。