《針の取れる日》

 

先日ひょんなことから、思ってもみなかった生き物との交流を果たした。

賑やかな街中を歩いていて突然トイレに行きたくなったのだが、さっと借りられる店がまあ見当たらない。

 


何でも良いから何処か入ろうと見渡していた時に近くの看板が目にとまり、すぐ傍に立っていた店員から途端に呼び込みがかかった。

とても可愛いとか、何匹居るとか勢い良く言われた気もするが、こちらもトイレ待ったなしの状況だった為、あまり覚えていない。

当方、平素から何の気なしに行動することを楽しんでいる。

 

しかも「わートイレ!」となる直前までは、殊に強く「何の気なしに何かして歓びを捧げてみよう、祝福だ!」と意志して歩いていた。

 

突然の尿意はそれに応えた虚空からのギフトと言える。

 

色んなギフトもあるもんだ。

 

何の気なしのチャンス到来に気づきつつ、呼び込みに即応じて入店。

店員からの挨拶とチケット購入と席案内を最短で済ませ、システム説明もそこそこに、取りあえず当初の目的を果たしに行った。

「セーーーーーフ!」

席に戻り一息ついて、やっと落着いて眺めてみると、何とも不思議な生き物である。
 

 

犬や猫と違って、呼べば戻って来るとか、じゃれて来る等がない種族だからか、ガラスケースに入る状態で、席ごとに2匹程用意されている。

素手で触ると当たり前に針が刺さるので、用意された丈夫な手袋をしてから、両手でそっと水を掬う様にして持ち上げる。

手の中で丸まっている生き物の、軽くて柔らかい感触に驚いた。

 


全部が肉ならもっとみっしりと持ち重りがしそうだが、針とは意外に軽いものなのかも知れない。

そして、見も知らぬ謎の手に持ち上げられているのに、身を守る為に進化して装着しているはずの針を一切立てずに丸まって熟睡している姿にも驚いた。

針持ったまま、針刺さないの、アリなのか。

手の平に、雲丹と餅を合わせた様な姿で寝息を立てるいのちを乗せて、このまま集中していたら思ってもみない様々な真理開ける気がした。

ハリネズミ瞑想、新しい切り口である。

 


但し、手の中で寝ると言うのはあまりないケースだそうなので、「用意するもの:熟睡しているハリネズミ」。

丸まったまま宙に浮いても、ウンともスンと言わないメンバーを発見する必要がある。

宮司のハリネズミ瞑想は、それ程続かなかった。


彼らにあげるオヤツがあったことを思い出したからである。

乾燥した細長い虫をピンセットであげるのだが、寝ていた者まで起きだして、一気に場が賑やかになった。


夢中で食いつき、金属製のピンセットごと齧って来る者も居る。

 

歯は平気なのだろうか。

真剣そのもの。興奮しているのに背中の針は倒れたまま。

じゃあ、いつだすのさ針。
そんな出番ないんだったら、そもそも何でしょってるのさ、針。


興奮だけで不安や恐怖なく、この場では戦う必要がないと感じているからだろうか。一緒に過ごせば過ごす程、謎が増えて来る。

彼らの意識が「マジでこれからは針要らないかな」となったら宗旨替えして「ツルツルネズミ」に進化するのだろうか。

 

針の取れる日が来てもそれはそれで面白いなと、手の中でアクティブに騒ぐ様になったのをあやしていて気がついた。

これこそが、人型生命体の本分。
観察者としての歓びである。

当たり前だが、ハリネズミはハリネズミを観察しない。

 


ゴリラ等類人猿の中には人に近いコミュニケーション能力を持つ者も居る。

 

だがゴリラもゴリラの来し方行く末を観察しないし、他の種族を観察したりもしない。

別種の有り様を、どんな風に変わって行ったかじっくり観て、気づきを起こせるのは人だけ。

起きた気づき全体の繁栄に活かし、その歓び全母たる虚空捧げられるのも人だけである。

 

 

本質的には自他はないことを知りうる者だけが扱えるのが観察力

 

その観察者たる人まで自他で遊び意識の目を閉じているままでは、真の観察はどれ程の時を重ねても為されない。

やはり、何の気なしにやってみたことは大きな気づきをくれる。

祝福の意志に応えて現われたハリネズミと尿意、その奥の虚空に改めて感謝を捧げる。

 

生やして刺さないのもアリなのだ。

(2019/1/21)