《適材適所》
記事にてお伝えしたこともあるが既に、個としての願いは特にない。
その為、こうなりたいのでこうやって行きたい、と言うのもない。
進化繁栄の流れに在って、巡って来たことは全体に必要だからする。
それだけで、本当にシンプルだ。
なので通常世間の人々が時間と集中力を相当割くだろう、その時々の「願望」と後に現われる「実際」についての一喜一憂や煩悶が、スコンと抜けている。
只、今に在って、そして特定の価値基準はない。
雪より晴れが良い訳でもないし、
不合格より合格が良い訳でもないし、
下落より上昇が良い訳でもない。
その動きが起きただけである。
宮司は単に基準が取れているが、事が上手く運ぶのを狙ってその為に「価値など定めない姿」を装ったなら、それは恐らく願望と実際に翻弄されるよりもずっと苦しい。
いかにも、無欲に見える様に。
ナチュラルに見える様に。
慈愛に満ちて見える様に。
そう言う風情に表情を編集して、“余裕顔”を装着し続けると、いつの間にか肉に張りついて剥がれなくなる。
どこかで面目丸つぶれの場面が起きて、外面にパキッと罅でも入る方が全体一つの流れに乗るにはいい。
それはまさしく恩恵なのだが、「絶対叶えたいこと!」が存在する不覚の意識達には、あまり受け入れられていない。
宮司にとっての“物理次元認識”は、申し上げたこともあるが以下の通り。
全体光って動いている、全方位に広がる、面白い映画の中に在る。
その歓びと共に浮かぶのはせいぜい
「わ〜凄いや!」
とかで、「この先こうなったら」や、「なったら良い・悪い」は、ピンと来ていない。
恐らくあるんだろうな、となる昔の言い伝え程度に、何かフワッとしている。
そうした暮らしの中で先日珍しく「宮司と言う“これ”の活動に関する、段階的にはまだずっと先」のビジョンが訪れ、大変にテンションが上がった。
不覚でテンション上がると言ったら、「胸高鳴る興奮」とかになるのだろうか。
こちらのテンション上がるは、何と言うか「全細胞を微細な震動が一気に通って行く」感じである。
ものすごく雑に言うと「あったかくなり、炭酸みたいにシュワッとする」。
このシュワッが起きたことによって、今の今はまだ現われていないその場面も「全体一つに必要なのだ」と腑に落ちた。
只今は、こうして情報をお伝えしたり、時に応じては進化変容のお手伝いに参じたりとメッセンジャーの役割をしている。
やり切ったら、何なりと次の場に駆け出して行く。
全体一つの求めがあれば、何なりと。タクシーの運転手でもいいし、保育士でもいいし、森林ガイドでもいい。
そう当たり前に了解していたのだが、今回浮かんだのはブライダル関係のビジョンだった。
そう言えば、結ぶ魂の結魂を果たした者同士がする結婚を祝う係として、物理次元にやって来たのだったと今更ながら思い出した。
初志貫徹を言い渡されたのだろうか。どっちにしろ、ケロッと忘れていたので、新鮮に嬉しかった。
結魂を果たす人々にお目にかかるのがどのタイミングかは分からない。
そこからの「結魂と結魂の結婚」を祝うのが、年代数字的にどれだけ先になるかもさっぱり分からない。
分からないが、構わない。
そして、もしその素敵なお祝い役が宮司と言う“これ”に巡って来なかったとしても全く構わない。
全一の運びは常に臨機応変。
流れの勢いが変わって宮司でない端末にブライダルのお鉢が回っても、そちらが適任であれば、当たり前にその方が嬉しいのだ。
誰がやろうと、いつやろうと、繁栄だけが全て。大体、誰も居ないし、いつもない。
永遠で広大無辺な繁栄の光が、自由に動いているだけである。
オーロラを型抜きしようとする人は居ないだろう。
「理想の実現」はその位、変てこな無理ゲーなのだ。
今に在ると、関心は理想の実現ではなく適材適所に移る。
エゴが歪めさえしなければ、この世界の発生は常に、適材適所の連続なのである。
私の消化、全への帰還。
(2019/2/12)