《説得と納得》
「納得出来るよう、説得して下さい。」
生徒・教え子・支持者等と呼ばれる人々から、師・ガイド・メッセンジャー等と呼ばれる人々へ向けて。
あるいは、
不覚の位置で逡巡したままか座り込んで一歩も動く意志を見せない人々から、進化変容の内なる旅を始めて歩を進め実感を深めている人々へ向けて。
そんな要求が出されることがある。
『頑張るのはあくまで師であり、発信者であり、先達だ。
又、決定打を放てるのも師であり、発信者であり、先達だ。
消化出来ないことを、細かく噛み砕いてお腹に優しくし、熱くない様に冷まして、口まで運び入れてくれるのは、先に成長した方だ。
何故なら、教えられたり導かれたりする受け手の我々は、未成熟で未発達な「か弱い迷える子羊」なのだから。』
子どころか、これは赤ん坊の発想である。
自分の機嫌が直る心地いい声や揺すり方で、あやしてくれるのを求めて、ひたすら相手の変化を待って泣き喚くのは、変容と言う「子供時代からの卒業」をする端末の行うことではない。
本当に只、真実が知りたいという正当な意志を持つ人々と、彼らの問い方は全く違っている。
無論、当宮はそんなベビーやキッズが集うテーマパークではない。
外身が小学生だろうが還暦だろうが一切同じく、内側が宇宙の大人となる、つまり成神するタイミングを迎えられた「ものの分かった方々」が、それぞれにお役立て下さる場である。
上もそれを楽しく観ている。
そんな当宮の境内にわざわざこんなことを書いたのは、世に蔓延する子供気取り達の言い分に、真っ当な皆様が振り回される必要はないと申し上げる為である。
そして振り回されないことが、実は最も彼らの成長を促す貢献となるのだ。
言葉にし難い感覚について、どう伝えれば、より分かりやすくなるか。
これは誠実な伝え手であれば、必ず向き合うテーマである。
食材が切り方一つで味を変える様に、情報も切り口次第で味わいや飲み込みの度合いが違って来る。
どの切り口から伝えれば届くのか、伝える側があれこれ試みるのを座って眺めながら、
それが口に合うかどうか、
栄養になるかどうか、
熱すぎないか、
冷めきっていないか、
他の店より美味しいか、
細々とチェックし難癖つけて、気に入らなければ文句を言い散らす者達は、何を口にしようが結局飲み込むことは出来ない。
文句でもおべっかでも、何かを吐きながら何かを飲むことは出来ない。
彼らが吐くのをやめられるよう、余計な世話を焼かないことも天意である。
彼らからの要求は3枚綴りの複写式になっている。
冒頭の要求だけでも大抵は、当然なものに見せかける為に割って、二重にして本音を隠している。
「納得させて下さい」
「説得して下さい」
師や発信者や先達は、1枚目の「納得させて下さい」しか見えずに、「期待に応えるよう努めます」と言う意志のサインをしてしまいそうになる。
だが1枚目に隠した2枚目があり、その後ろにも隠した3枚目がある。
「保証して下さい」
甘ったれが仕組んだ覚醒保証書にサインする必要はないし、したとしても文書偽造で無効である。
お気になさらず、皆様のエネルギーを真に注ぐ必要のある所へ向けられること。
それが全体の進化に向けて最も意義ある貢献となる。
遠慮せず、自立を促す。
(2017/5/29)