《袖振り合うも》
多生の縁とか何とか。
万物一体であるので、実際は袖も何もあったもんじゃないが
この所、街ですれ違う端末に向けて金輪際の感謝を送ることが増えた。
天意からの愛を放出するにつれて、
「“これ”と言う端末とその端末がすれ違うのは、この度の一回きりかも知れない」
と、出会えたことにしみじみと感謝する様になったのだ。
まぁ毎度しみじみしている訳でもなく、大体は好奇心に任せて軽いノリで過ごしている。
その好奇心も活発になる一方。
不覚時代には電車やゴミ収集車に喜ぶちいさな人達を
「はは、無邪気なもんだ」
と、眺めていたのが目が覚めてまさか、道を歩いていて、
見たことのない
機械が付いた車を発見し
一散に駆け寄る
者になるとは予想もしなかった。
その機械は全体が車の形をしていて、後方で古い道を削って、それを前方から噴き出していた。
お尻でアスファルトをガリガリ砕き、頭からそれを吐き出す大きな動物みたいな感じ。
路面切削機と言うらしい。
砕かれたアスファルトが湯水の様に流れて集められて行くのを面白く観察した。
その付近に、地面に数十センチ四方の穴が空けられて、地下で工事をしている人々用の換気が出来る様になっている場所も発見。
中を覗いたが、何かを削っている腕位しか確認出来なかった。
工事現場は素人の目から見て面白が一杯。
そして素人には出来そうも無いことが良く分かる作業に従事されている方が沢山居て、感謝の機会も一杯だ。
どのジャンルでも、とても今の今“これ”に出来なさそうなことを、一心になさっている姿には頭が下がる。
本当に、あの方達がして下さって良かった。
宮司だって削らせてくれるなら、喜んで操縦席に座るが、多分と言うか、ほぼ間違いなく、
あらぬ所まで削る
そんな気がしている。
あらぬ所まで削らないのがプロ。感謝したい。
観察し続けているこの街は、いつも何処かが建設中だったり解体中だったりしている。
どんどん変化する街を、色んな国から来た人々が自由に行き交っている。
2020にはあの祭典もあるし、この流れは益々加速するのだろう。
しかし「この街全体が箱船みたいだな」と感じる程、行き交う人々の多種多様さに驚く。
どうも、あの祭典があるとか、お買い物に便利とか、ブームだからとか、そうした表面的な理由に納まらないものを感じる。
何だろう、この「分からないが来ちゃった」感。
分割意識達にとって訳が分からなくとも、御神体達が「ここで何かが起きている」と感じているのが分かる。
確かに興味深い場所ではある。
しかし、これ程集まっちゃうとは。
ぎゅうぎゅうじゃない。
ここじゃなくたって、何処だって起きてんですけどね。
そう申し上げることも出来るが、何せ対話する機会もない。
不覚の意識には全く「何のこと?」状態だろうし。
ともあれ、この「何でか、来ちゃってる人々」も、それのみで十分に有り難い存在である。
天意からの愛を受け取ってお帰り下さり、それを来ていない人々に届けてくれるからだ。
そのことにも感謝しながら金輪際の、天意からの愛を発して日々を楽しんでいる。
何処に居ようと、出来ることを。
(2018/8/2)