木曜記事が結構なボリュームの為、本日はあっさり仕上げます。
では、記事へ。
《虎の子放ち》
進化変容へのチャレンジに関して、金銭や時間等を気前よく放つ端末に「相応の覚悟」や「勇気」を見ることも勿論出来る。
但、よくよく観察してみて分かったことがある。
払い慣れていて、
時間をかけ慣れていて、
要するに、
それらについてさして抵抗がないから出来ているなら、
それは掛け値なしの覚悟や勇気とは違って来る。
馴染んだ環境や、情で結び合う家族や友人等の、お気に入り達が
「たとえ離れて行ったとしても構わない」
と覚悟を決めることや、
「生理的に無理!」
と嫌悪感がわく物や人、ことに歩み寄って中立に観察してみること。
そうしたチャレンジの方が余程抵抗があったりするなら、避けて通れないのがそちらなのは、火を見るより明らかだ。
惜しくないもの、痛くないものだけ提供し続けて、根本的な変化が起きていないなら、それが何よりの証拠ではないだろうか。
以前お目にかかった中に、それなりにはっきりした変化を起こしたと聞く方が居る。
その変化について、「ああ、成る程な」と納得したことがある。
宮司はその方からあるものを受け取ったのだが、それが
「驚く程ビッチリ糊付されて」
「キュウキュウに押し込められて」
「押しても振っても全然外に出てきゃしない」
程に、きつく密封されていたのだ。
だが、その方はそれを手放した。
程なくして大きな変化があった旨、報せを受けた。
これを踏まえて、申し上げられることがある。
真剣に変化することを望むなら、
何であれ意識にとって、離れる時に生爪剥がれる位の痛みを感じる様なものを
手放されることだ。
ダブりのある手札を切るだけなら、
それは所詮、ゲットのゲームである。
虎の子隠して、何の全一。
(2018/11/5)