以前冊子に書いた、甘くないが間違いもないフレーズが、不意に思い出されたので載せてみます。

 

 《問いと縋(すが)りの違い》

 

 危機感などという表現で誤魔化して一緒くたに扱ったりするが、「縋りつきたい気持ち」と「問い」とは全く違うものだ。

 

 問いは保証を求めない。

 問いは他者のエネルギー供出を欲しない。

 問いはその責任を他者へ背負わせない。

 問いは他者の進化を阻害しない。

 

(しんかのとも 放の巻より)

 

 これに目を背けない肝の据わった皆様、ご参拝ありがとうございます。

 

 

《胎動と陣痛》

 

 縋るだけの者は論外として、本気出して取り組んで靄がかった状態からスッキリと晴れ渡った者達が、また濁って澱んだり混乱したりする様を数限りなく見て来た。

 

 一体いつまで繰り返すつもりなのか?

 

 以前、そんなことを思いながら歯医者で椅子に座り、天井を見上げていて突然「これは胎動である」と気づいた。

 

 真実が腑に落ちるまでに多少の誤差や揺れ戻しが生じても、それは覚者が産まれる前の胎動なのだ。

 

 胎動という言葉に衝撃を受けた宮司は、取りあえず「歯の手入れに全面協力だ」という状態に顔面を固定し、意識をその胎動というヒントに注力した。

 

 結果、終わるまでに10回は

 

「はい、今は閉じてていいですよ~」

と言われる事になったが、それどころでは無かった。

 

 人間意識を味わって、そこを「もう充分」と思いきるまでの期間のあれやこれやは神意識の胎動であり、取り巻くモノコト全てが神なるあなたを育ててくれた。もちろん、宮司と言う神なる“これ”も育ててくれた。感謝している。

 

 そして神意識を発動させて変容する、者が産まれる時の陣痛は、そのまま新世界の胎動である。


覚者が産まれる度に新世界の胎動が重ねられ、

やがてそれは新世界そのものの陣痛を呼び起こす。
 

 まあ、ちょっとしたドラマティック画面が出る。

 

 覚者と新世界(覚世界)は入れ子式になっているので、人型生命体の新生が世界の新生を起こすということ。

 新生世界は既に存在しているが、覚者がその目で観て初めて新世界は新世界たり得る。

 

 ところで陣痛って、何で痛みを伴うのか。
 
産まれたくない」という思いがあるからである。

 

 離れたくない、出たくない、ただただ怖い。

 

 だから陣痛になる。

 抵抗がなければ但の分娩なのだ。

 

 新世界の分娩も抵抗がなければツルッと行って結構な話だが、不覚者の中途半端な恐怖から来る混乱や旧世界(社会)の抵抗があると、多少の陣痛は否めない。

 

 拘りが痛みを生む。

 そして痛みがなくとも揺れはある


 それをお覚悟頂き、倦まず撓(たゆ)まずこの変容の時期を生かして、お産まれになること。

 

 ちょんまげの時代、産婆飛脚だけは大名行列を横切って良かったそうである。

 

 これを聞いて

「ダッシュした後にも出産イベント付きだし、タイムスリップした先でなるなら産婆だな

 

と、ウキウキしたものだが、まさか新世界の出産を手伝うことになるとは思わなかった。

 

  ヒッ、ヒッ、フー。

(2016/5/19)