《聴と叫》
以前に申し上げたことが、現象となって現れ始めている不覚社会。
雲行きがどんどん怪しくなるにつれて、人の行動は二つに分かれる。
聴くか
叫ぶか
聴く者達は、不覚を覆う喧騒の中でも意識を中立にし、微かな音を、覚からのメッセージを聴く。
叫ぶ者達は、聴けも、聞けもしない。
「こんなに助けってって言ってるのに~!
まだ、聞こえませ~ん?もしもーし!!!」
と、天やら神やらに向かって叫ぶのに忙しすぎるからであるし、最初から「聞きたいこと」が決まっているからでもある。
聞きたいこととは、
“全プレ・ユートピア”
到来の知らせ。
「だって、全体ひとつじゃない?」
と、虫のいい常套句を添えて夢見る。
叫ぶ者の聞きたいことは決まっているが、それが成されると信じていない。
聞きたいことを、信じていないから、聞く必要もない訳だ。
信じていないものを欲しがっている時点で無茶であるし、大体、必要なのは思い出すことであって信じることではない。
振り返ったら海なのだが。
なのに、未だに信じる信じないをやっている。
「信じるも信じないもあなた次第です」
と、まるでそれしかない様に延々と繰り返すが、信じる必要はないし、あなたも居ない。
叫ぶ者達が「これなら信じられる」のは結局、
何だかんだのエゴ存続
線路は続くよどこまでも。
何故なら、慣れているから。
ユートピアなんて無理だろうけど、
それを“遠きにありて思うもの”として
手の届かない所に飾ったまま、
何となくゴタゴタした世界で、
何となく他よりちょっと恵まれて、
何となく文句言いながら、
暮らして行きたいのよ。
エゴ持ち達の意見をざっくりまとめるとこんな感じになる。
そして、そんなエゴ持ちが2018周辺で叫ぶ者化して来ているのは、
「その虫のいい話が全然通らない」
ことを実感し出しているからである。
叫べば叫ぶ程
感覚は鈍麻する。
そして騒げば騒ぐ程、
お知らせのアラームも
大きくなる。
覚悟を決めた者達も、ここからは、更に「集中して聴くこと」が求められる。
叫ぶ者達は声が枯れるまで、
「全一なんだから何とかしなさいよ!」とか、
「ずっと今ここなんでしょうから、これだって今でしょ、このままにしといて!」とか、
頓智を気取った屁理屈をこねて、しょうもないクレームを天に放ち続けるので、それなり喧しくなる。
不覚者達の多くが未だに、変容の時代を「何処かの誰かが起こすもの」扱いし、人為的ムーブメントとして収めようとしている。
ご承知の通り、それは全く、無駄な抗いである。
人為的なものであれば、これまで起きた様々な流行り廃りのように、やがて熱は冷め、「時代は繰り返す」と言う、お気に入りのループに入れる。
それを期待して熱りが冷めるの待っている。
だが、変容はこれまで人型生命体達が経験してきたどの熱狂とも違っている。
変容は全てを溶かし、丸ごと変えて、そして冷めない。
それが、平熱となるのだ。
予定調和は戻らない。
(2018/9/20)