《結びの前に》
前回記事にて申し上げた結魂と結魂との結婚を歓ぶ、素敵なお祝い役。
そこを切っ掛けとして、不覚全盛時代から現在まで、歴史上数限りなく行われている結婚についても興味が湧いた。
エゴの体験が主題であった時代、人々は結婚と言う転機をどの様に扱っていたのだろう。
結婚祝い役の先輩と言えば、本日2月14日を記念日とする聖ヴァレンタインもその一人。
何と言うかゴキゲンな感じ。
彼に関する伝説は何通りか存在する。
士気の低下を避けて、ローマ皇帝が兵士の結婚を禁止していたのに、秘密裏に結婚式を行ったとして処刑。
結婚式とも恋人達とも全然関係なく、「盲人の目が見える様になる奇跡」を起こし、それによって改宗者を生んだ為に処刑。
シンプルに、キリスト教の信仰を捨てなかった為に処刑。
どのルートでもゴールが処刑なのは聖人あるあるなので仕方ない。
1番目のロマンチックエピソードが人々に支持されて、ヴァレンタインは恋人達の守護聖人として崇敬を集めて来た。
2月14日は男性から女性へ好意を示す日と言うのが一般的。
それが、日本では男と女が逆になっているのが興味深い。
製菓業界の策略とか、そんな話も調べると出ては来るが、策略だけで人々を動かせるのなら、不況だとか少子化だとか不覚社会が歓迎しない場面だって起きちゃいないだろう。
「女からチョコレートを添えて好きと言う気持ちを示す」
の路線が受け入れられて一般化するにあたり、そうした流れが起きる受け皿となる空気があったはずである。
バレンタインにチョコを贈る習慣が始まったのは諸説在るが1930年代から60年代にかけて。
丁度お見合いから恋愛へ、結婚経緯の主流が交代する時期。
そして、まだ硬派な男らしさが美徳であった頃。
「好きだの何だのは女子供のもの」
そんな照れの残る時代だったこともあり、世に珍しい女性主導で進める恋祭として発展したのではないだろうか。
2019現在では、贈る理由は恋を超えて義理・友情・親しみと、様々。
贈るだけでなく、自分へのご褒美と言う購入理由もあり、女性だけでなく男性も気軽に自分の気に入った商品を買う、「チョコ祭」の様になっている。
もう何でもあり。
数十年で変われば変わるもので、歴史を通して眺めてみると面白い。
聖人を飛び越えてバレンタインデーの発祥を調べてみると、源流と言われるのがルペルカリアと呼ばれた古代ローマの祭。
結婚の神ユーノーや春を司る豊穣の女神マイアに捧げられた祝祭である。
マイアの祝祭には、春の訪れを祝う5月1日のメーデーもあり、ユーノーの方も、かつては3月1日や7月7日に祝祭が開かれていたのが、現在は6月の女神に落着いている。
Juneはユーノーに由来し、ジューン・ブライド(6月の花嫁)はこの月に結婚することで、女神の加護を願う意味がある。
女性の結婚生活を守護するユーノーは主神ユーピテルの妻であり、そのまんま「妻となる者の守護神」。
春を祝う神と結婚の神が集うルペルカリア祭には、婚活パーティー的な催しや、多産を祈願する風習も盛り込まれていたと言う。
その内容から「風紀が乱れる」と廃止されて、代わりにバレンタインデーを祝うことが定められた。
ルペルカリアの祭神には牧神パンも挙げられていて、彼は音楽の神であると同時に、お色気的なエピソードも豊富にある神。
確かに風紀もそれなり乱れたのだろう。
乱れる風紀の想像図。
それでもキリスト教色が全くなかった人気の祭に下された、突然の廃止命令。
そこで、「あっそうか」と気づいた。
実は、ローマで兵士の結婚が禁止された事実はなかったとも言われている。
教化と改宗の為にちょうどいい聖人と「祭廃止されたのも仕方ないじゃんね」な逸話を登場させて、歴史を編集。
そこから、キリスト教風味にした男性主導で好意を示すイベントを長年続けていたのだとしたら、日本の逆転バレンタインは無知さから変てこにしたイベントどころか、
一周回って帰って来た
感じになる。
恋する女性達を中心に、日本でこのイベントに乗っかった人々がもし、バレンタインの起源が原始的な“異教”の女神達の祭にあることを、本能的に理解していたのなら凄いことだ。
ブライダル関係の先輩として聖ヴァレンタインを追いかけ始めたら「居たかも居ないかも分かんない存在」になり見失ってしまったが、走り続けた結果、春と結婚を祝う古代の女神達に出会うことが出来た。
至極満足である。
チョコレートが面白いのは、食べている間にどんどん溶けてかたちを失って行くことだ。
有形から無形への変化を目で見ずに感触で味わうことが出来る。
是非この機会に、沢山あるうちの一粒くらいで構わないので
「かたちって何だろう」
「溶けるって何だろう」
と意識して、召し上がってみて頂けると、普段以上に面白く味わえるのではないだろうか。
結びの前に、溶いてみよう。
(2019/2/14)