《神風》
先日の台風は、広範囲に大きな風を届けてくれた。
風と言うのは、ある程度強くなると“感触”があるから面白い。
以前観た映画で、
「乗り物などを用い、
外気に触れながらの移動が時速○○㎞に達すると、
その状態で掴む風はおっぱいの感触に似る」
と言う情報を頂いたのを思い出した。
後から思い出した為、天からの強風の感触もおっぱいに似ているかどうかの確認は出来なかったが、四方八方に吹く風で、あの日は世界全体がふわふわドームみたいであった。
夜になり、いよいよ盛り上がって来た風の触り心地に、寄り道をして、木々の多い場所を少しブラブラ歩いて楽しんだ。
風は葉を揺らしたり枝を折ったりしながら、右から、左から、あらゆる方向から吹きつけて、巻き上げて、去って行く。
暖かく、まるで生き物の様で、“神の息吹”とは成る程だなぁと思わず感心した。
この物理次元は毎瞬点滅する、言わば“神の呼吸”によって生み成されている。
その中でも「一丁やったろか」の意志の元に、ダイナミックな動きが起きると、呼吸の中に息吹が生まれる。
この度の大風も大雨も、みんながちょっとビックリする程の大胆さで物理次元を更新して行った。
何処だからとか、誰だからとか、一切の特別扱いなし。
我欲まるだしの商業施設から、イケイケドンドンの観光地から、「ありがた〜い」で売ってる神域から、あったか家族が暮らす住宅街から、全部同じ。
風はもう、吹く場所を選ばない。
知らずに嘆くはエゴばかりである。
これは天罰だとか、恵まれているとかいないと言った、下らない話ではない。
「神に護られた土地だから無問題」なんて小咄、とっくの昔に期限切れになっている。
そんな話は以前にも書いたので余り興味がないし、皆様もないだろう。
風達にひとしきり遊んで貰って、
帰宅したその晩、床に就いていて急な揺れで目が覚めた。
まるで世界全体が揺れているようだったが、以前に記事に書いたこともある“陣痛”を思い出した。
変容の時代、
世界は常に出産中。
「お〜、揺れたい様に揺れなされや。ヒッヒッフー」
そんな調子で居たら知らぬ間に再び眠って、翌朝。
世界がピカピカで驚いた。
光ってこんなに眩しかっただろうか。
風もまだ暖かく吹いている。
又も遊んでくれる風達の“真意”を、その日ようやく感じ取ることが出来た。
自由に
自由に
自由に
急き立てるのでなく、高らかに歓びに満ちて自由を歌っていた。
不安になるのも嘆くのも自由だが、不覚者と不覚社会の知らない所で、神はこんなにも惜しみない。
その情ではない優しさ、豊かさ、潔さを、世の多くの者が無視する分も含め、より丁寧に観察し、味わって行こうと決めている。
何もかもが、追い風。
(2018/9/10)
「そんな気楽な日常の話なんかどうでもいいから、世の中が大変なことだと騒いでいるあの話やこの話をもっと詳しく読み解いてくださいよ」
と、思われた方。
「この酷い事態を何とかして欲しい」
「何とかしないまでも、安心させて欲しい」
「安心が無理なら、せめて同情したり慰めたり憤ったりして欲しい」
↑の文言を、声に出して発し、
その後、鏡をご覧下さい。
あなたの目覚めを押し止めるモノが、そこに映っています。