《神の所在》
「神などどこにいる!」
呑気に自転車を漕いでいたら、急に横から声が飛んで来て、見ると公園で学生が演劇の練習をしていた。
(?・・・あらゆるものが神ですが)
そこでふと、そう言えば人類はずっと「神が何処に居るのか問題」で、ヤンヤカヤンヤカ騒ぎ続けているのだと思い出した。
神を感じるのではなく、発見しようとする。
還るのではなく、得ようとする。
それも中途半端に。
中途半端だから、騒がしさだけ増す。
本気で、真実を知るかこの存在が無くなるかだ、とまで腹をくくると、騒がずに口を閉じ耳を澄まし始める。
そして自然に、神が「見える所に設定するもの」ではなく、「感じて初めて分かるもの」だと気づく。
「どこにいるのか、か〜」
分からないけど、何処かに居る存在。
そう設定してたらそりゃずうっと、
どっかからどっかへの移動
に終始するわな、と納得した。
どの神か、どの派か、どの教区か。
一体どれが正解なのか。
見えぬ所に御坐すのが神
とは、ちょっと真っ当そうなフレーズだが、実際は片手落ちである。
それでは霊体しか神ではないと言うことになるから。
実際は、見えざる存在である気の神と、全母が生み成すいのちと言う実の神、まとめて全て神である。
見えるもの、見えぬもの。
どちらも神。
只、試しに不自然な動きもしてみようと、見える方の神なる存在が、あれこれやってみただけだ。
何にでもなれるからこそ、疫病神にだってなれる。
上から提示され、最近楽しく読んでいる本がある。
地球の歴史を彩った生き物の殆どが現在では絶滅していることを踏まえ、その様々な絶滅理由を書いた本。
詳細に入る前にざっくりと分けた大きな絶滅理由が書いてある。
地球環境のいきなりな変化と、ライバル的種族の出現が1位2位を飾る大きな理由だが、第3位に「人間のせい」がランクイン。
仕事の出来る、立派な疫病神ではないだろうか。
全体と調和せず、結果、疫病神を卒業しなかった『不覚者の絶滅理由』が、これから追補されることになる。
そう思いながら食事に入った店で読んでいたら、
「しんどい、もう辛い」
と、聞こえて来た。
離れた席に、ちょっと嬉しそうな感じで連れと会話している女性が居た。
意訳すると
「胸がキュンキュンして苦しい」
みたいな状況にある様子。
むかつく、チェッ!→「死ね」
ひどい・ひどく(単体では「ひどい有様のもの」)→「クソ」
強い感情で居ても立っても居られぬ→「しんどい」
この様に、派生した使用法が暴れ回る世の中では、歪んだ決まり文句が多過ぎて真っ直ぐ言葉を話し難くなっている。
真っ直ぐに本音が発せなくて絶滅
なのかな、と首を捻った。
不覚者の絶滅、なので目を覚ますことをお決めになられた方々が気にする必要は特にない。
良い悪いではなくこれも自然の恩寵、地球の歴史の一頁である。
天意からの愛が発揮出来なくて絶滅
モメるのだけ超得意。
とも、言えるなと気がつき、次いで「あ!」となった。
いのち全てであり、空間にも満ちる、
神の所在を思い出せなくて絶滅
「色々あるけど、そっからだ!」
と、膝を打った。
不覚に足らなかった絶滅理由は、取りも直さず、覚の状態を思い出すにあたっての必須事項。
本音を発し、愛を発揮し、そして
どこにあろうと全て神だったと、思い出す。
そうした者達に向け、新世界は開かれている。
こんなに、分かり易いのに。
(2018/8/23)