《祝福の力》
不覚者は季節・気候絡みの悪口雑言が大好きである。
真夏になったらなったで、「日射病」「熱中症」「夏バテ」「夏風邪」「虫さされ」etc、ワーキャー言うのだが、前哨戦で「蒸し暑くて不快指数増加」「カビ増える」「気が滅入る」「くせ毛がうねる」と言った梅雨あるあるが舞い飛ぶ。
まあ、毛がうねるのは毛の勝手だし、カビが増えるのもカビの勝手だが、周囲がヤンヤカ言い出して、ご自身もそんな気分に片足突っ込みかけたら、そこで一時停止し、内側に問いかけてみて頂きたい。
本当に、今、不快?
本当に、今、辛い?
実はさほど辛くも不快でもないのに、取りあえず世の中にお付き合いで「不快神輿」や「辛い神輿」を担ごうとされているなら、今年はそれに参加しなくていい。
と言うか、そんな場合ではない。
場合じゃない2018
キャッチコピー風にしてみたが実際そうなのだ。
辛いや不快を共有してのやり取りは、確かに不覚のお付き合いを潤滑にする。
これまではそれで上手くやって来た。
だが、グッドセンスな皆様にはご承知置きの通り、既にそれが「うまくない」時代に入っている。
不覚あるあるの応酬では、せいぜい味の抜けた安心感がしがめるだけで、全体煮詰まって来る。
今の今必要なのは「嘘を混ぜない、丁度いい相槌講座」か何かであり、そんなのがあれば結構な話だろうが、まぁ見かけない。
なので、各自でひねり出してみられること。
嘘吐きが美味しい時代は、とうの昔に過ぎてしまった。
さて、ここからが本題である。
不覚の片棒担いでではなく、「天地神明に誓って、マジで不快なんです」「マジで辛いんです」と言う場合。
チャンス到来。
何がチャンスって、祝福のチャンスである。
どうしたって、まごう方なく、辛いもの。不快なもの。
それを祝えたならば、どうなるだろうか?
でかい制限がひっくり返る。
祝福する力は当人の制限のみならず、周囲の、もっと言えば顔も名前も知らない者達の制限をも引っくり返したりする。
例えば、何につけベタつくのが嫌なら、逆手に取って徹底的に、スースーするグッズを探し試して頂きたい。
何なら、スースーして爽やかになりたいが為に「この梅雨を迎えたのだ」位の発想で進めて行くこと。
曇り続きで気が重いと感じられる方は、屋内でどれだけ景気よく過ごせるかに意識を向け、浮かんだらどんどんお試しになられること。
天井の高い開放的なスペースにお出かけになられてもいいし、水族館やプラネタリウムでもいい。
宮司は雨が嫌いではない。
面白い形のレインコートが着られるし、レインシューズも気に入ったものを揃えている。
何と言っても雨の降るかたちそのものが美しいし、音も愉快だ。
霧雨でもスコール的な夕立でも、退屈はしない。
降ったら降ったで、照ったら照ったで楽しいものだが、今の今、そんな風に思えない方は、「そんな風に思えないなりの楽しみ方」を工夫してみられること。
祝福とは「それっていいね!」と支持することではない。
祝福≠支持
無理矢理いいものにして肩を持たなくても、祝福は出来る。祝福とは、
丸ごと受け入れて、栄えよと愛を送ること
受け入れが難しいなら、まず、
丸ごと受け止めて、栄えよと愛を送ること。
どんよりと不快さが増すと言われる季節は、裏を返せば祝福のボーナスステージである。
ここで、どんだけ祝えるかが、夏に発揮する底力の大きさを決めると言っても過言ではない。
担ぐなら、弥栄の祝福神輿。
(2018/6/11)