《目覚めの理由》
一体なぜ宮司と言うこの端末に目覚めが起きたのか。
言うまでもないことだが、他に比べて特別な存在だったからではない。
当たり前に分かる。別に目覚めたのが“これ”でなくとも良かったのだと。
なぜ起きることが出来たのか。
誰かに聞かれたら出る答えはまあ、これである。
その時が来たから。
身も蓋もない。
だが、何もせずに目覚めたと言う気は勿論していない。
再び。
『なぜ起きることが出来たのか?』
他に思い当たることは一つしかなかった。端的に言うとこうなる。
本気だったから。
目覚めていない方々が、いい加減というわけではない。
目覚めを不覚時代の宮司より切望されている方は沢山居られると思う。
切望と本気は似ているようで違う。
本気で、「目覚めた状態というものが実際にある」と思っていたし、内側のどこかでそれを知っていた。
それがやって来た時、言葉を介さず“それがそれ”であると理解したのは、知っていたからだ。
時が来た。本気だった。起きてからしばらくは、それが理由だと思っていた。が、しかし。
それは勿論そうなのだが、それだけでは何処かが抜け落ちているような気も常にしていた。
大体、本気なら他の端末にだってあるだろう。
そんな中、ある時とても納得の行く答えを突然送って来られた。
『自分とか他人とか虚空とかなしに、
とにかく全部ひっくるめて、
思った以上に天意(あい)していたから』
らしい。
それゆえの目覚め。
何気に感動的だ。
丁度電車に乗り込もうとしていた時に来た答えで、大自然の中で空に虹が出てたり、輝く陽光に包まれたりする中で受け取るような特別感溢るる啓示ではない。
日々じゃんじゃか走ってる中央線快速の一つ。
その車両のドアに片足入った所でいきなりメッセージが来たのにはびっくりしたが、日常の一コマの中にとんでもない内容の情報が放り投げられることもままあり、もう慣れていたのですぐ受け取り、その中身に大いに満足した。
この世界を愛している方は宮司の他にも沢山居られるだろう。
しかし目覚めには愛しているだけでなく、天意していることが不可欠。であれば、納得が行く。
この答えを受けて始めて、目覚めの仕組みを理解した。
目覚めには「真実を知ること」とそれを「腑に落とすこと」が不可欠である、そしてその力の源は本気の決意と、天意であると。
というか「天の意」と「本(もと)の気」は本質的にはイコール。
同じものを柔らかく表わしたのが天意で、鋭く表わしたのが本気と言える。
天意とは『とにかく全部ひっくるめて』の通り、問答無用である。
表層意識の好いた嫌ったは全く関係ない。天意している本人が「ああ…アイだね〜!」とかいちいち思えない位それはさり気なく、とても静かだ。
「天意は全母である虚空の領域にあるもので、子たる人型生命体のアイとは愛であり、天意の方は管轄外」、な訳はない。
元々は母と子は同質の存在である。
虚空(全母)からの天意は全端末に等しく注がれる天意。
人型生命体(子)は各人に分かれた時点で、個性というものが出て来る。その各ポイントから全母に返すのがふり返る子としての愛。
そしてこの愛とは「元々は天意で、部分に置かれることで独自性が出て色がついた」ものである。
全母から子へ、そして子から全母に送る動きは、
『 全母 (天意発) → (天意着) 子 (を経由して変換し、愛発) → (愛着) 全母(の元に帰還し、天意発) ・・・ 』
これが無限に続く。
子達は常に天意を受けており、それを捉える「天意の感覚」も備わっている。
全母から届く天意を知る感覚は、すなわち大人の感覚である。
天意の感覚が開くことを、世間では「魂が成長する」と言い表した。
変容が「卒業」であるのも、それが大人になることだからだ。
無意識下でも天意していれば目覚めに向かって勝手に動きが起きるが、意識無意識両方で、天意の感覚が思い出せなくなっている為に、目覚め街道に渋滞が起きている。
天意の感覚がピンと来ない、と言う方へ。
「わけの分からない静かなあたたかさ」が天意にはある。
それに意識をフォーカスしてみて頂きたい。
近づく側が無心である程、それは声なき声で語り返してくる。
「わけの分からない」のは、意図がないからである。
天意はあなたや、あなたの大切な人を特別扱いしない。
天意には各自の事情や都合は差し挟まれない。
加えて、天意は出し惜しみしない。
でも無理もしない。
究極の理が天意だからだ。
天意は全母から子達に送られ、そして子の意識を母の意識まで成長させる。
その時、循環が完成する。
ミッシングリンクの何がミッシングかと言うと全母としての天意の感覚である。
母にして子であり、子にして母であるのが我々人型生命体の本来の姿だ。
本当に天意していたら、
目覚めずにはいられないのだ。
天意の深まった順におはよう。
(2016/6/13)