今回の記事は、宮司のようなちょっと変わった立ち位置からしか発信できないように思い、書くことにしました。

 

 「目覚めや悟りに関して金銭を頂かず、またご感想も伺わず、誰とも打合せせず、しがらみもなく、只発信している」と言うことを踏まえて、クールにお読みいただければ色々な意味で、2016では稀有な内容だということがお分かり頂けるかと存じます。

 

では記事へ。

 

《目覚めが金で買えるなら》 

 

 全くもって世話はない。

 

 目覚めや悟りや変容に関して教えを受けて望む変化が起きない時、以下のような言葉が溢れ返ることがある。

 

 どうしたらいいんですか

 (何とかして下さい)

 

 分かるように教えて下さい

 (何とかして下さい)

 

 とても苦しいです

 (何とかして下さい)

 

 どれだって腹の中で言ってることは同じだ。

 

 救世主伝説の噂が生きているからか、目覚めや悟りに関して教えを受ける機会が発生すると、真剣な受講生達に混じって、ソリや方舟みたいなものを勝手にイメージしてそこに乗り込んだ錯覚を起こす者が出る。

 

 彼らは教える者に綱を掛けて自分達の“乗り物”と繋ぎ

よろしくお願いしまーす」と決め込む。


 綱を掛けられた側にとっては確かに無礼な話なのだが、憤慨して綱引きを始めるより、綱をスパッと切ることをお勧めする。

 方舟からギャアギャア文句が聞こえてもだ。それが互いの進化に一番と思う。

 

 師にスパっと行かれると彼らは仲間内で固まり、「お仲間」と思った他の真剣な受講生の方達に綱をかけてみようとする。

 

 綱掛けの根底には「金払ってんだから」という思いが存在する。

 

  「時間かけたんだから」「熱意を注ぎ込んだんだから」「尊敬したんだから」などもある。
 要はエネルギー投資に見合った利益を回収したいという思いだ。

 

だが金を払ったからどうだというのか。

 

 教習所にうん10万払って免許取得試験不合格。

 予備校にうん100万つぎ込んで大学受験不合格。

 

 講師や経営者を訴えられるだろうか。

 

 「絶対目覚め保証!完全覚醒確約!」とか謳ってたら別だろうが、ハワイツアー申し込んだのに未だ契約不履行!みたいなノリで「延期して催行、ですよね」とか当てにする者の気が知れない。

 

 これは適当こいてる教える側が撒いた餌、「当てにさせるという伝統」の為でもあるので一概に教わる側にだけ要因があるとは言えない。お互い様っちゃお互い様だが、変容や進化に真摯に向き合う師や生徒にとっては邪魔でしかない。

 

なので今回、意識のローラー車で平らにする。

 

  宮司は虚空について習った師に質問や相談のメールを送ったことは一度もない。

 質問自体無かったが、あったとしても多分送らなかったろう。

 

 支払ったのは講義費であって、「その後の質問に答えるのに割く師の時間や集中力」に対して対価を支払うシステムを見かけなかったからだ。

 

 教える側に「ご質問はいつでもいつまでも何なりと」と言われているなら別として、幾つもの講座が開始終了する中で、師は分身せず生徒は増え続けるのにサポート期間が無限無償というのは奇妙だ。

 

 後輩達に師の手を渡すという発想がない者には「金払ったんだから」と同じ位有名な、「貧者(目覚めていない者)は富者(目覚めさせる側)に限りなく手を尽くしてもらって当然」という思い込みがある。足りないんだから足りてる側から埋めてよ、と言う。

 

ワンネスという言葉は、都合のいい時だけ自他の別を土足で踏み越える為にあるのではない。

 

 宮司も金を払って教えを受けたが、「それと同等かそれ以上返してもらって当たり前だ」と思ったことはなかったので、「何とかして下さい」状態が起こるらしいことに、正直最初は驚いた。

 

 もし受けた教えがトンチンカンなものだったとしても、「そんなものをたぐり寄せた自分にも原因はある」とチャラにしていたろう。だって、その通りだから。


 この視点自体、もう人間らしくなかったのかも知れない。

 

 以前ひらめいた遊びを思い出した。

 雑誌の『東京恋愛ご利益めぐり』とか『開運招福 ご利益最強パワースポット』とかの


   』を指で隠す。

 

 

 「利益(りえき)!ふっ、ふぅ~~!!途端にえげつない!!」と、冷や汗と笑いを楽しんだものだ。

 すぐ飽きたけど、ちょっと面白かった。

 

 隠しようもなく、人が求めているのは利益なのだ。

 うるわしく編集したって、中身は透けて見える時代だ。

 

 全体愛を標榜して個の利益だけ求めてたらそれはチグハグになるし、それこそまず『報われない』ことを確約。

 

 目覚めるまでの道のりに師の答えが不可欠なら、当然の問いではなくても問われることを師も喜ぶだろう。


 
 正々堂々真実に面と向き合うのがマトモ(正面・真面)であり、マトモな師はマトモな問いには喜ぶ

 

 マトモな問いかどうかには、手軽で便利な見分け方がある。師を通して求めているのが「答え」なのか「ご利益」なのかを確認すると明らかになる。

 

 目覚めや悟りに意識が向けられているなら、エネルギーは本道に沿って活かして頂きたい

 何せ目覚め課は今日まで長きに渡って人材不足だから。

 

 何より、無駄だから。

 

 上からは再三、

 

『諌(いさ)めて悟った例(ためし)なし』

 

 と言われている。

 目上に見て諌めても目下に見て叱っても、どちらにせよ悟った例はないだろう。

 

 だが、諫めず叱らずに説明することは時に必要だ。

 

 当神宮にお越し下さっている本気の皆様は、今回の記事については、他力本願な半端者に縋られた時、

引っ張られずに一線を引く意識の衝立として、お使いいただければと思う。

 

 また彼らに『こうした訳で、そりゃ無駄ですぜ』と説明する必要が出た時、宮司の無遠慮フレーズで気に入ったものがあればお使い下さい。

 まぁ、基本放っておけばよろしいが。

 
 よろしければその折には、『ごく冷静に見て、イエスやブッダの弟子で「投資しただけで」変容した者が居ますか?』とお伝え下さい。

 

『りやく』っつーとうるわしくなるマジック。何で?

(2016/5/23)