《男の母性》
皆様ご承知の通り、人型生命体の御神体には男性型と女性型がある。
とても分かり易い差異であり、無形のゼロ=全母から放たれて個別の体験をしようとはりきっていた生命達が、その差に夢中になったのも良く分かる。
「全く女って奴は」
「男っていっつもそう」
と、色んな「これぞ男」「これぞ女」あるあるのデータベースが構築されて来たが、ここに来て「それ結局、後付けの幻想だったよね」とネタばらしする事案が多発している。
例えば浮気は、旧時代では男の性みたいに扱われていた。
実際にそうした振舞いをした者の性別を、交通量調査員や野鳥の会みたいな専属スタッフがカウントした訳でなく、実にフワッとした何となくの共通認識。
「男ってのはそういう生き物なんだよ」
なんて、映画ドラマ等で言われた時代もあった。
2017から駆け足で「女の浮気不倫」からの「謝罪会見」が相次いで起きた時、
「“どっちかがそういう生き物”と言う、馬鹿らしい幻想を打ち砕くジャンヌ・ダルクが出て来たぞ!」
と、その有り難さに手を合わせた。
不覚的には「やらかした」ことでも、人類は着実に進化しているのだ。
男も女もどっちだって浮気することがあり得ると、内心では誰もが分かっていたとしても、「会見」と言う打ち上げ花火で公に知らしめると、それは世間に響いて浸透する。
もう、適当に造った「お約束」では遊べないのだと、意識達が震え上がる。
言うまでもなく「女性型と女性性」も「男性型と男性性」も≠である。
男性型の端末にも、女性型の端末にも、等しく男性性と女性性、そして母性がある。
この母性とは、女性型端末が子に対して発動させる個母的母性ではなく、全母としての性質。
つまりは全母性のことだ。
母、と聞けばまず誰もが女を想定する不覚社会では、男の体であって内なる母性に気づくことは、大変難しい。
だが、気づかずに母性を発揮している男性型の端末は存在する。
彼らの動きは「おかあさんぽいことをして有り難がられよう」「おかあさんとして素敵な自分になろう」と言う打算が無い分、むしろピュアで優しい。
何しろ本人も母性と気づいていないので、大変さり気ない。
そうした男の母性に気づくことは、男性型のみならず女性型の端末にとっても大変重要となる。
現在、スピリチュアルと言う切り口で真理を探求する人々には、女性が多くなったと聞く。
世の中でも「女性の時代」とか叫ばれているし、何だか女に追い風の気配。
だが、そこに胡座をかいて「女であるだけで有利な」気になっていると、当然に進化は止まる。
右見て、左見て、まだ周囲が自分の得になることに夢中なんて有様だと、それだけで安心してしまう方。
まして、
『「現実主義」で「鈍い」、「頭の固い」、“うちのパパ”や“うちの息子”、兄、弟、男友達、彼よりワタシは全然進んでいるわ。』
と、感じておられる方。
だから、「彼らが進むまで待っててあげなきゃ」?
本心は「もうちょっと、現状維持で大丈夫」ではないだろうか。
実際、“あなたのパパ”や“あなたの息子”がてんで進化にも変容にも興味を示さなかったとしても、知りもしない男性型端末が、日々、静かなる母性を発揮して進化を遂げているのだ。
「男の母性」については、上からヤイヤイ示されたのと、重要なのに取り扱っているのを見たことがない為に、書くこととなった。
女性型の端末が、男の母性に意識の照準を合わせ、発見し、そこから気づき続けると、女であることに甘えていられなくなる。
女であることへの甘えは、女が男気を発揮することを押しとどめる枷になっている。
枷が外れ自由に舞うことが可能になる時、初めて女の父性も活きて来る。
とは言え、男の母性なんて寝耳に水だし、現実味のなさでは妖精かユニコーンクラスだと、ピンと来ない場合もあるだろう。
次回、「ああ、こういうのが男の母性か」と分かる、実例をご紹介申し上げることにする。
互いに学び、開く世界。
(2018/1/22)