《温度差》
何となく続く慣れ親しんだ日常をベースに、快感、怒り、恐怖、歓声、怒号、悲鳴、etcの、あれやこれやな興奮をスパイス的に混ぜ込んで、騒ぎ立て続ける不覚社会。
そう言うことをするからこそ不覚な訳だが、目の当たりにして起こる感想は
「温度差あるなぁ〜」
と言う、呆れである。
「よくまぁ、同じことの繰り返しを未だ出来るな」、
「あれっ。こんな悠長って、どう言うこと?」とでも変換出来る。
見えない閉塞感をどうにかしようと「派手な事件」や「輝かしい人物」、「緊迫する情勢」「ショックな出来事」等、濃い味付けのものを不覚社会は生み出す。
自由意志に基づいて何をしようが勿論、結構。
だが、それは
津波が来る気配が恐いんで
花火大会を始めます。
の様な、変てこな行いなのだ。
どんな気の紛らわし方をしようが、起こることは起こる。
起こるし、もう既に起きている。
頭でどうこうの理解を超えて、全体一つが「只、それがそれである」のと同じ様に、「それが起きている」ことも分かる。
その感覚を踏まえて申し上げれば、現状の不覚者はてんで悠長だ。
新世界を満たす水の中で、不覚社会の苦しさは日々増している。
懸命に実践して来たことが実を結びつつある者。
尻に火がついてやっと始める覚悟を決める者。
周囲を見渡すばかりで、まとまった人数の覚悟が決まってから動こうとする者。
する気ないし出来る気もしないので、他に縋り付いて不覚の道連れ作りに励む者。
全て愛しき「変容の時代を生きる人の有り様」だが、当宮及び宮司が担当しているのは覚悟を決めた方々なので、そちらに向けて注力を続ける。
この所、あちこちから「今年後半」についての声を聞く。
「まだ5ヶ月過ぎたとこで、半分も行ってないのに?」と、ちょっと驚いたが本気である程、大多数の悠長さを感じ取って気が急くのだろう。
そうした2018後半も視野に入れ始めている方々に、本日記事で一つお知らせ申し上げられることがある。
鬼がギリギリ笑わない位に先な話となるが、
本年の母神祭は
11月23日。
晩秋もいいとこ。
しかし、当宮始まって以来の秋祭りであり、宮司はこの新体験に向けて相当愉快な気分で居る。
まだ日付け含めたざっくりとしたことしか決まっていないので、詳細は秋口くらいにまとめてご報告する。
そんな訳で、「お知らせそろそろじゃない?夏のどの辺なのよ?」と思われていた皆様は、遠慮なく夏は各自エンジョイし、進化を遂げられること。
こちらも本気の皆様にお応えし、6月からも全力で万事進めて行く。
誰かが、誰かの、何かを、待つ必要は一切ない。
既に、そして元々。
誰も、何も、ないからだ。
凡ゆるものであるのだから。
梅雨も構わず、晴れ渡る愛。
(2018/6/4)